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鎮守杜の 余話閑話  1                      宮司  古賀靖啓
平成20年6月
神威無量の高神様

 地元の古老方は、高宮八幡宮は位の高い神様であるという話をいつもされていました。
 現在の浄水場を中心に高宮、大池、寺塚、平和あたりの森を社領とし、神社の神田は二町歩以上あったそうです。高宮から太宰府市に抜ける道を高宮往還と呼んでいました。そして、高宮八幡宮の元宮(高宮浄水場あたり)は山城であり、その石垣はこの辺り一帯にあった古墳の石垣と共に福岡城建設のために運び出されたと言われています。元宮があったとされる処からは福岡市内と春日、太宰府あたりが一望できます。志賀島、荒津(西公園)、高宮、天拝山がほぼ真っ直ぐに並んでおりますので地政学上重要な地点であったと思われます。

 氏子地区も随分広いと伝えられておりました。それは棟札が出てきて後日検証が出来ました(福博十七ヵ村の総鎮守・今で言いますと福岡市の南区と博多区、中央区、那珂川町、春日市あたり)。明治になり高宮村は平尾村、野間村、若久村、屋形原村と合併します。この時高宮村にしたかったのですが八幡村になりました。そして、高宮八幡宮は八幡村の村社になるのですが氏子達には黒田藩士の子孫も多く、位の高い神様と伝えていますから村社がどうしても気に入りませんでした。それで大正になって神社を官幣小社もしくは県社にしようと本殿(奉献黒田忠之公)、拝殿(木材奉献加藤司書公)を改修し、神楽殿を造り、社務所、宿舎齋館を造って昇格運動をしました。(残念ながら昇格は出来ませんでした)。

戦前は縁日には神社の池から参道沿いに屋台が並び大変な賑わいだったそうです。このあたりは福博の資産家の別荘や別宅が多くあったそうで、池に舟を浮かべて芸者さんから囃子方まで呼んでお舟遊びをしていたそうです。
当社と最上稲荷(高宮4丁目)と石投げ地蔵(向野)にお参りすると御利益があると言って戦前は大変お参りが多かったそうです。またこのあたりは桜の名所になっていたとも聞かされています。

 昔より夢でお告げを受けた話が氏子地区内から多く寄せられています。近頃でも先代宮司、宮司、宮総代を始め信心深い方には数多くの夢によるお告げや霊験談が伝えられています。神殿遷宮のきっかけに始まり、奉賛事業、設計、建築、地震対策に至るまで夢でのお知らせがありました。これらのことは神様からの神実在の証しを頂いているのだと恐れ多く思われます。