ウブスナにふれる

ウブスナとは産土神のことです。ウブスナとは人が知らずとも関わっている神であり命の元、命を命たらしめている神聖な存在。この世に見える姿としては、その多くが土地の神や氏神と言われる神社の御祭神として祀られています。

日本の昔ながらの考え方(生き方・世界観)は随神=カンナガラ、古道とも古神道とも言われています。それは古代日本人がウブスナと関わりながら生きていくところから形作られてきました。日本人の生き方はウブスナとの関わりそのものなのです。ウブスナとは母なる大地であり、人の命の大元であり、命そのものと言ってよいほど、人とウブスナの神は深く結びついています。日本人は人は神様と親子関係であるとして、命の元を畏敬する生き方を続けてきました。私ども人類は「神の御末」つまり人は神様由来の生き物であるとしながら、暮らし神々に畏敬を持ってきました。

私どもを生かしている自然環境や食べ物となる動植物も人と共に神様由来の物であるとしています。そのようにして日本人の感性は自然と共生する日本人の生き方を創り上げてきました。
それで自然を畏敬すること、生命やその元つまり親や先祖を大切にすること、動植物をはじめ山川などの大地や自然現象にまで命の息吹を感じ、そこに神聖さを見出して共通の命の働きに畏敬を持って接してきました。しかしながら、今私たち現代人はウブスナとの関わりを意識することが急速になくなってきています。

御世代わりに際して、ウブスナの継承が行われます。火嗣ぎ(霊嗣ぎ)とも言われるこの祭は世の中の生命の更新が行われるという意味であります。それで昔は潔斎して忌み籠もりをしておりました。天皇陛下が行われる大嘗祭によって、国をはじめすべての命が更新されると考えられておりました。正月を一年の命の更新として、神から命(恩賴=ミタマノフユ)を頂くとしております。そのことが月毎や日毎に繰り返されるとして神社や家庭で祭祀が行われてきました。

日本人のこの素朴な考えは、人に内在してる魂から来る物で、世界人類が誰しも共通に持っていた筈の物です。人が私欲を持ち、理性によって合理的な考え方を続けるとき、魂から来る感性は遮られ途絶えてしまいます。その時は一度無心になり、一切の捕らわれ関係性を断ち切らなければ原点には戻れません。実は多くの社会儀礼、宗教儀礼の本質はこの魂の元(神々=命の元=天御中主神=グレートサムシング)に帰り着くことなのです。

お正月・御代替わり 〈祝う・決意〉

平成三十一年の正月は平成最後のお正月となり目出度く有り難い限りです。

しかし、近頃では家や家族の様が変わったせいなのか、ハロウイン、バレンタインデーなど商業ベースの行事が多く、行事がイベント化して心よりお祝いする感じが失われてきたようです。
お正月は世の中であれ家であれ一年で一番の時間でした。この度のお正月は年配の方は昔を思いだして、心よりお祝いする豊かな時間をご家族でお過ごし頂ければと思います。
皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

高度成長期と言われた時代に「明治は遠くになりにけり」と世間で言っていた思い出があります。すでに戦前を知らない世代(戦争を知らない子供達)も古希を超えていらっしゃる方も居られ、「焼け跡・高度成長」も聞き覚えのない世代が中年と言われる世の中になっています。最近は「平和ボケ」という言葉も耳にしません。
日本は江戸時代は鎖国をして平和な世の中を維持しました。その時代は有色人種の国は植民地にされており、奴隷の対象にされていました。有色人種の国の中で、日本だけが実質的な独立国でした。明治になって日本は独立を維持し何があっても奴隷にされる事など無いように「富国強兵」の国家目標を掲げたのでした。
今は国家目標を失った時代が続いています。
私どもはどこへ向かうのか、国自身を失わない為に意思を決めないといけない時期に来たようです。

1月の行事

大晦日から元旦にかけて

大晦日は年が変わった「午前零時」よりお詣りができます。
元日は夜通しお参りできますのでどうぞ皆様御参拝ください。

新年は家内安全の御祈願をお受けください。

お正月三が日は売店もやっております。

3日   10時頃   元始祭

※神道講座はお休みです

14日 成人の日  10時~12時  どんど焼き

 

 

行の祈り

一回目のお祈りが終わりました。
心なしか家族共々良い方向に向かいだしたのではないかと嬉しく思っております。
息子の体調精神面、私の仕事上の問題など一朝一夕にはいきませんが、続けて参りたいと思っております。   M・F

通じ合うということー見えざる物を貴ぶ 心を養う2

都会で自然環境の規模も小さいので、この地は自然環境がケガレを浄化するには不十分です。それで神主が潔斎して神霊の祓いをお願いし、なおかつ熱心な氏子さんがいてこそ保たれています。
それで祈願の量を調整したり、熱心で清らかな方にご神霊の増長弥栄をお祈りして頂き神社護持のお手伝いと共に家内安全と霊性向上の祈り(崇敬会)をして頂いております。
参集される皆様の真心の積み重ねで奇跡的に今の状況を保っていると拝察申し上げており、お陰様でその真心に答えて頂く神霊のご守護のあらたかさを深く感じております。
これらのことは人が心もその意識も肉体も他の存在と通じ合う同調することの現れです。これを感応同行すると言い、古語では感(かま)けると言っております。このかまけるというと心奪われ捕らわれると言う意味合いで、知らない内に何か見えざる物に心奪われる、我を忘れてしまう、憑きものされてしまう、という感じがあります。
自分自身のことを思い返せば思い当たるところが多々あり、気がつかない内に周囲からいろんな影響を受けていることがあります。自分の体調をはじめ物の好き嫌いや嗜好、思想や思いつきなども作用されています。「朱に染まれば赤くなる」とは言いますが、つきあいの大切さその影響は知らない内に人の霊性にまでも作用しますから大変恐ろしいことです。また改めて自分を省みれば色んなことにかまけて人生歩んできた訳で、良いも悪いも判断できてないことが多く、運良く此処に居るという風に思えます。
ご縁が大切とは言いますがそれを取捨選択したのは自分自身というより神様のお力。「困った時の神頼み」と言いますが、「困らぬ先に神頼み」して神に手を引いて頂き、神の杖を頂きお支えして貰ってやってこられたと思います。お陰様(神様)に気がつかない内にお支え頂いたのでした。

知らない内に様々なモノと通じ合う私ども。体と心、その間に関わる気や幽体、アストラルなど正邪の区別なく存在しております。正神と正佛とモノノケの区別は人の知恵では区別できません。神を祈り想う真心だけが正神に感応し自ずと邪を避けていくとされています。
体や心、気=幽体のケガレはモノの祓いで取れていきます。例えば禊ぎをする、祈り祝詞を唱える、お祓いを受ける、人形祓いなど。しかし、魂にかかるケガレは鎮魂によって正神界の神気を直接受けなければ祓えないとされております。
鎮魂法(真の修行=神と通じる法)は真心を練り鍛えることだとされる所以がここにあります。

本来なら秘して語らず。口伝とされ、教わるべき境涯に足しないと誤解を生みやすく、注意して語るべきところまで申し上げております。それほど世は危機的な状況となっているようです。