名誉宮司からの伝言

名誉宮司からの伝言

平成12年6月

毎月一日と十五日には午前十一時より月例祭(つきなみさい)をして居ます。国の安泰と皆さんの幸せを祈る祭 りです◎誰でも拝殿内にてご一緒に拝んでもらいます◎悩みや苦しみや、心が疲れた時には是非ご参加ください。必ず心が安まります◎森の中ではそれだけで心 が安らかになるものですが、鎮守の森には神の霊波が漂っているのです。拝殿には一層清らかさが強く、皆さんは、じっと祭りの空気を感じ心を合わせるだけで よいのです◎行事の一つ一つに心で自分も其の行事に合わせてください◎この清浄感と安らぎは他処では決して得られないものです◎神主が神様に申し上げるノ リトの意味も、進行する行事の意味も無理に知らうとせず、ただ素直に其処に座って行事を心で追って行くのです◎何かお願い事があるならば、神主がノリトを 申し上げて居る間に、心の中で静かに申し上げてください◎こうして神様と心のつながりが出来るならば、日常は、毎朝参拝するなり、お宅の神棚を拝むので す。そこは高宮八幡宮の神様の霊波の受信機ですから◎さらに心を深めて行きたいと思う人は、「洗心講座」に来てください◎積極的に神様に近付きたいとする 心の努力が実は大切です。その勉強会です。神様は貴方の悩みや苦しみなどを背負って下さるご存在ですから◎「崇敬会」もそうした事を求める人達の団体で す。国内に蔓延する、人々の心の荒廃を救って頂く事を神に祈り、併せて自分の心も磨いて行こうという集まりです。

平成12年5月

私共の細胞の中に遺伝子が組み込まれて居て、その中には今の私共の姿になるまでの生物誕生以来の歴史が書き込まれて 居るとか◎日本人は日本人共通の、家族には家族のそれまでの共通の歴史が。個人には祖に人だけの部分も書かれている訳です◎それは私共が祖先から、此の国 土に生きて幸せを求めて順応して来た『進化』の歴史でもあるのですから、今こそ自然に対する日本人共通の感性を振り返る事が大切ではないかと思ひます◎此 の国土の四季の動きは実に温順で、昔旱魃になって食物がなくても、稲種だけはじっと抱えて耐え忍んでいれば、来春は蒔いて育てることができると言う期待が 持てたのです。これが日本の風土です◎山は緑に、水は清く豊。冬は寒くとも二三ヶ月待ては春が来る。夏は暑いと言っても添えは食物の育つ季節◎ですから誰 もが自然の中に神の恵みを見、それに併せて働いたから、他国人からは正直で勤勉と見えたのですね◎そうした『感性』が私共の遺伝子には書かれている筈で す。◎ですから五十年前のあの物のない時でも乗り切ることが出来た訳です◎にも拘らず、私共とは全く考え方の違う『使い捨て』文化や民主主義などという 『利己主義』に惑わされた子孫の遺伝子にはそれが正しいものであるかのように書き込まれてはならない筈です。それは此の風土には合わないからです◎最近ま では誰も知らなかった色々な姿の犯罪。特に、さしたる理由もない年少者の犯罪。それらはすべて非日本的感覚を育成したからです◎まだ手遅れではありません が、この苦しみをいつまでも続けてはならない筈です。

 

平成12年4月

◎敷島の 大和心を 人問はば 朝日に にほふ 山桜花◎本居宣長が詠んだものと思います。戦時中は大和心 の一面だけが強調されました。その面も大変重要ですが、ここでは広く日本人の自然に対する感覚、或いは感受性を指しているのでせう◎緑の中に点々と咲いた 山桜が朝日に映えて、すがすがしい静かな風景。そうした風景に心の清らかさを移入する。これが日本人の心情だ、と言うのでせうか◎和歌とも俳句とも違う今 様と言う古い歌の形式があり、幕末ころに黒田藩士達が、その形式で作詞して歌ったのが、筑前今様(俗に言う黒田節)です。◎その中に次の歌詞があります◎ 花より明くる み吉野の 春のあけぼの 見せたらば 唐国人も 狛人も 大和心になりぬべし◎山桜よりも少し賑やかとは思いますが、この感じが日本人の心 境ですよと言えば、カラクニビトもコマビトも、どんな外国の人でも、このさわやかな風景に接して、日本人の心を理解する筈だ、との意味でせうか◎ 春の弥 生の あさぼらけ 四方の山辺を見渡せば 花盛りかも白雲の 掛からぬ峰こそなかりけれ ◎詩では花とは桜を指すのだそうで、これは桜の在る風景を素直に 詠んでいますが、これも早朝の清明感です◎あの幕末の非常の時と言うに、どの歌もゆったりとした心で、清らかさを称えています◎現代の私どももこんな気持 ちに帰りたいものです。

 

平成12年3月 顕幽一如

◎臨死体験した人の話では、綺麗なお花畑があり、小鳥が美しく囀っている。山があり、川がある◎多くの人 は、この川岸で息を吹き返しますが、この世と同じ風景です。だから、人は死んでも今までと同じ心境が続いている筈です◎陽気な人もあれば、暗い人も居る。 これは自分の心の働きです。ですから、苦しみや、悲しみを逃れるためにあの世に行っても、その現世の事情はなくなるが、それでは逃れる意味がない◎『顕幽 一如』と言う言葉があります。顕とは物質の世界であり、幽とは心の世界です。◎『六根清浄』と言う言葉もあります。私共が自分以外のものを知るには、五器 官(目耳口鼻触)に依るのですが、もう一つが、《心》です。これを昔の人は、六根と言いました。それが正しく働ける状態が「清浄」です◎この中で心は物質 ではなく、私は『脳も心臓も肉体全部は心の道具』だと思います。ただ、肉体を使って居る間を《心》と言い、肉体から離れた時が《霊魂》です◎肉体に宿らず に存在して、高度な状態に居られるのが《神様》です◎人や物質を使って、人に一時的に強く働き掛けられる時、私共は《ご守護》と感じるのです。実は常に守 護して戴いて居るのですが◎《六根の清浄》が必要で、そこに心の安らぎがあり、その程度を高めて行くのが人生修行でせう。

 

平成12年2月 氏子・崇敬者

(前略)さて、氏神とは本来はその地域の人の共通の祖先神のことですが、現在ではその地域を守護される《産 土(ウブスナ)神》を氏神と呼んでいます◎結婚や生死等人の一生も司っておられるので、赤ちゃんが生まれたら必ず初宮詣をする。又お嫁に行く時にはお参り したものですが今はあまり見かけません◎人が死んだ時も、ご奉告申し上げる(家族でない人が代参して)のが本当です◎こうした事は、氏神様に対する真心の 表現です◎他の地域に住んで、その神社の高いご神徳を慕ってお参りし信仰する人が《崇敬者》です◎当宮の氏子や崇拝者には、神様のお蔭を戴かれた人が沢山 居られます◎最近はそうしたお方のお話を特に多く聞きます◎尚お参りだけの時でも、拝殿前のノートに署名してください。毎朝の祭典に更めて神様に申し上 げ、ご守護を祈って居りますから。

平成11年12月

◎小学校三年生の女の子が話してくれました◎バスにお婆さんが乗って来た。かねてお母さんから教えられて居 たので『どうぞ』と言って席を立った。ところが、なんと『私はまだ若いのですよ』と言って奥の方に行ってしまった。子供にとっては、それは哀しくも大きな ショツクでした◎私が見たのは大学生でした。折角立って上げたのに、相手の人は掛けてくれない。その大学生は、きまり悪そうに奥の方に行った◎こんな一寸 とした善行でも、若い人、特に小さな子供には大きな勇気と大変な決心が要る筈です◎人を押しのけても、自分だけの喜びを追い求める者の多い現代では、こう した若者や子供達は本当に貴重な存在です◎今度は譲られる側。或お婆さんが、『有り難うございます。戴きます』と言って、泳ぐようにして、その席に寄って 行った姿を、私は今も思い出します◎『戴きます』の一言にその人の教養が偲ばれるのです◎それ以後、私も出来るだけ丁寧にお礼を言うように心掛け、その人 が下車する時にはもう一度お礼を言う。私が先に下車する時にはもう一度お礼を言ってその席をお返しする。こうして、その人のご好意を有り難く味合うことに して居ます◎私より高年のお方には私も席を譲るようにして居ましたが、今ではもう譲られるのみの年齢になつたようです。

◎私が子供の頃です。何か作って立派に出来上がると『よしっ、上等舶来だ』と言ったものです。大正の中頃で す◎舶来物はすべて高級品であったのです◎それが今はどうでしょう。三度の食事から身の周りの物まで、全くの国産品は見当たらないような状態です◎科学が 進み、外国との交流が一層開けてきたお陰ですが、本当にこのままで良いのでしょうか。◎すべての生物はその環境に合致するように変化して来た、それが進化 の方向です。その風土に合うような体型に。その時期、其土地にある物を食べて命を保つようになって居る事、テレビでもよく放映します◎更に私共人間は、言 葉から考え方まで、西洋と東洋では異なり、同じ東洋でも日本と他国とではやっぱり違う処があります◎譬え日本人の祖先が他処から移動して来たとしても、も う何千年も、あるいは何万年にもなるでせう。その間にこの日本列島の風土に合うように次第に進化して来た筈です◎もうこの辺で、日本人らしい食生活、生活 態度、そして心の生きざまを反省すべき時だと思います◎昔に戻るのではなくて、外国のものまね、丸飲みだけでは幸せには成れない筈です◎年末とは、大掃除 や心の大掃除《大祓》もしたり、お寺の鐘の《百八》を聞いたりする。そんな時です。

平成10年正月

◎『笑う門には福来たる』と申します。大神宮のお膝元、伊勢市の民家ではシメ飾りの中央に『笑門』と書いた 小さな板を付けています◎伊勢に限らず、正月はシメ縄を張って新しく神様を家の内にお迎えするのですから嬉しい筈です◎それをハッキリ意識する為に参拝し て氏神様のお札と大神宮様のお札を一緒に頂いて来るのですね。また三社詣でなどと言って、その外の神社にも参る訳です◎さて、『笑門招福』の思想は神道の 『心のお祓い』の事です。最近『前向きの姿勢』とか、『プラス思考』などと言って居るのもこれです◎お互い今年も『頑張りませう』と申しますが、実は『頑 張り』は『対抗意識』で、ストレスの解消には不十分です◎我が国には『見直し聞き直し』の言葉があります。これで、はじめて心の安らぎが生まれます。そう でないと本当の笑顔は生まれません◎氏神様はそれを支えて下ださる筈です。

古代人の爽やかな生き様の好例が神話の『岩戸開き』の段です◎スサノオの神が旅に出るのでお姉さんの天照大神にお 別れしようと、高天原に登って行く。元気が良過ぎてその足音が天地をゆるがす程◎その上、無事ご挨拶が出来た弟神の喜びが余りに激しいので、山崩れが起き て田畑は埋まるし、竜巻が起きて吹き上げられた馬が神聖な機織場の屋根から落ちて来て織女が負傷する等々。余りの激しさに天照大神は岩戸の中に隠れられた ◎世の中は暗闇となり、丁度今の世の中の様で、生産は途絶える。あらゆる犯罪は多発。如何わしい思想や風俗の流行等◎神々が対策を協議した結果、『事象の 対策よりも、むしろ《プラス思考》で行こう』となり◎ウズメの神が真心表現の踊を披露。神々はドット笑い声の合唱。鶏は夜明が来たと歌い出す◎天照大神 は、その意外な雰囲気に、そっと扉をずらして覗かれた◎此の時とばかりに、生産も心配ありません、この通りと緑の樹に取り付けた真新しい鏡玉劍を差し出し た。その隙に他の神がお手を引いて外にお連れ申した。これで元の爽やかな世の中に戻った。

平成11年11月

家族で耕作のお供え
深い神縁によって、当八幡宮にお供えするお米を耕作して下さったお方があります。清浄専一に無農薬無肥料の自然農法に終始された◎しかもご家族を挙げての 奉仕。更にその新穀奉納の大祭に、お嬢さん達で巫女舞も奉納され、一同深い感銘に打たれました◎又この稲種は伊勢神宮から戴いたものなので、この程お礼参 りをしたのです◎ご家族ご親戚と共に、ご子息達が稲束の包みや重いお米の包みを持っての同行。八幡宮からも関係者数名ご一緒したのですが◎この一連の行事 の中で、私は深い感銘を受けた、それはご夫婦の神への《強い誠意》が終始一貫して居た事です。否ご家族全員にそれが流れていなければ、こうした事は到底出 来ない事です。◎お二人の日常生活の中のその信念が皆さんに伝わり、ご家族の円満、心の一致として現れているのだと拝察したのです◎今学校崩壊だの、家庭 教育云々の言葉を聞きます◎しかし、本当に大切な事は、それは親の日常の姿です◎中心者が恒に《正しい》目標に向かって《努力》して居るかと言う事です◎ 家庭では、教育などと言う《技術》ではなく、親達自身の《生きざま》。それを子供達は感じるのです◎私どもは《自然が、人をして存らしめる道》に沿って生 きてこそ、真の平安と喜びがある筈です。

平成11年10月

鎌倉市に宮沢賢治の作品を鑑賞朗読する同好会があります◎『雨にもめげず』のあの詩には、私共日本人が恆に 求めて来た『清明心』が流れて居ると思うのです。それをこの人達は賢治の言葉で《デクノボウ》の心と呼んで居ます◎雨風にもひるまぬ自主の心はしっかりと 持ち、人の苦しみは自分の苦しみと受けて、共に悩み或は慰め励まし。人からの毀誉褒貶には無関心。そんな人になりたいと言って居ますね◎彼は澄み切った日 本の心を持つ人です◎ですから童話でも草花などが『ドッドコ、ドッドコ』などと歌って居たり『銀河鉄道』など空想的なものが多いのですが、あれは空想では なくて彼には草木の歌も聞こえて居た筈とその人たちは言うのです◎幼い頃から草木の発する波長が聞こえる特殊体質の女性をある機会に知ったその人達は、そ こから《自然音楽》なるものに到達したのです◎それは人間的な我欲を捨てて、草木に心を同調させる事によってその音楽を聞き、歌う事も出来る◎その《自然 音楽》にはすばらしい《癒しの力》があることが解った。そういう波長があると言うのです◎日本人が古来、 自然を大切にしたのも草木等には人を癒す神の力が宿って居ることを知って居たのでせう◎『鎮守の杜』にはそうした清明の波長、 癒しの波長が、 さらに神の霊波によって増幅されて居るのです。

神様に手紙を書きましょう
◎お願い事を書いて納める方法があります。昔はそれを《起請文》と言いました。ただ声でお願いするより
もっと《おかげ》が戴けるのです。
文書に書く事によって自分の気持ちが一層強くなる事と、神様にお誓いをする事によって自分にも責任を持つからです。
◎当宮では次の通りに受付ます。
◇普通の手紙の形式で願い事をなるべく具体的に書いて下さい。但し祈願の事項は一つだけにします。
◇手紙にはお名前と共に住所年齢を付け加えます。
◇封筒は必ず封をして表に『祈願文』と書いて下さい。 お金を納める人は必ず別の封筒にして下さい。
◇お賽銭箱に納めて下さい。
◎当宮の処理
◇宮司も中は開きません。その侭、神前に納めます。
◇六月と十二月(十一年以降)の末日に火に納めます。続けてお願いしたい時はもう一度納めて下さい。
◎お手紙で一番大切なこと。神様に何か『お約束』をすることです。実行し易い事の一つだけ。
それを書き添えます。あまり難しい事を考えてはいけません。
例  自分の悪い癖の一つを直す。    家族や他の人の喜ぶことをする。
一日一善等。かねてからこう仕たいと思って居る、心の成長になる事の中から一つだけ。
◇もし違約したと気づいた時は、自分で参拝してお詫びし、又実行するのです。
◎お礼参りは必ずされねばなりません。お約束した事が本当に自分のものになるようお願いして、更に努力するのです。神様は必ずお力添え下さるものです。あなたの心の一層の成長が、実は《お礼申し》になるのですから。



昔ニュートンと言う人が地球には『重力』があることを発見しました。皆さんご存知の通りです◎そして月の重力は地球よりも軽いことは、もう何年か前に米国 の宇宙船が月に到着した時のテレビで知りました。それは地球よりも月の方が小さいからです◎私はこう思うのです。『もの』が存在するにはその構成要素(物 体)に『引力』がなければ成り立たない筈だと◎私共の社会でも同様な法則と言いますか『力』が働く筈です◎個人では、自分という意識に。家庭ではお父さん に。社会や団体ではその代表者に◎一人一人はその構成要素ですから、お互いの思い合いも中心への思いも強い程、その団体の働きが強い筈ですね◎『それは当 たり前のことだ』と思はれませうが、今の社会では、その当然の事が忘れられて居るように思へるのです◎一人一人もその存在が確立して居なければなりません し、更にお互いは協力し合い、一つの方向に向かって居なければならぬ筈です◎これが《自然の姿》であるのですから、それに反する在り方には不幸や苦しみ等 が生じるのも当然の事ですね◎片寄った個人的な生き方をして居るのではないかと、時には考えてみることも、幸せに向かう道だと思います。


平成11年7月

豊かな自然が日本人に、それを感じる心を育てました◎それが宗教的な感情にまで昇華したのが、私共の氏神を 祭る心だと思うのです◎最近テレビでよく見ますが、辺境の少数民族の宗教は自然を対象として居ます。これは日本の神道と同じ感覚で、それを外国の人達は原 始宗教だと、最近までは蔑視したものです◎今科学が非常に発達した結果が、科学者が、人間の成り立ちを含めた自然に対してそんな感覚を持って居るのです。 神道と同じ事を考えざるを得ないと言うのです◎私共は、今学校でも科学と称して、自然を知ることに努力して居ます。それも必要でせうが、それだけに片寄っ たために、大人も子供も心がカサカサに乾燥してしまったのです◎私共人間も自然の一部分として、他の自然物と共に生きて行くように作られて居るのですか ら、自然と仲良く生きる事の方がもっと大切な筈です◎それは「知る」のではなくて、
偉大さや美しさを「感じる」事です。更には、「感謝する」事です◎或る人が言って居ます。『芸術は宗教の入り口』と◎尚、周囲に対して素直に生きて居ますと、色々な悩みなどがなくなります。これも自然と共に生きる姿勢でしょう。『自然体』とはこの事でせうか。



平成11年6月

高天原を追放されたスサノオノ神は出雲のヒノ川の岸に辿り着き、ふと見ると箸が流れて来たので人が住んで居 ると知り、上って行くと一人の娘を中にして老夫婦が嘆いて居るのに出会った◎『胴は一つなのに頭も尻尾も八つある大蛇が毎年出て来ては、娘を一人づつ食べ ます。今年も又唯一人になった娘を取りに来る時期になったのです』◎と言う訳で、スサノオノ神が色々工夫してその大蛇を退治したのに、最後の一太刀が刄こ ぼれした。不審に思って尻尾を裂いて見ると見事な太刀が出て来た◎あまり立派だったので、神は再び高天原に上って天照大神にそれを献上した◎ご存知の八岐 (ヤマタ)の大蛇(オロチ)退治です◎あれだけの大罪を犯したが、償いをし、祓い清められると、本来の姿に立ち帰る。そして剛勇さは持ち続けているのに、 大切なものは献上すると言う素直さ◎この神話は、私共日本人の清々しい思いを表現していると思います◎誰でも自分は正しいと思って居ても気付かぬところに 誤りがあったり、心の緩みが起こったりする。それは不自然な姿で、災いの基であるから、ツミやケガレとして、取り除いて、本来の姿に帰るように努力すべき 事を物語って居る訳ですね◎尚スサノオノ神はこの娘クシナダ姫を奥さんにして此処にお住みになるのですが、姫の名前は稲の良く稔る田の意味で水害から救わ れたことにもなりますね。


平成11年5月

古代人はどんな苦しい時でも爽やかに生きるすべを工夫した。
その好例の一つが神話の『岩戸開き』の段です◎スサノオの神が、旅に出るのでお姉さんの天照大神にお別れしようと、高天原に登って行く。元気が良過ぎてそ の足音が天地をゆるがす程◎その上、無事ご挨拶が出来た弟神のテンテコ舞しての喜び様が余りに激しいので、山崩れが起きて田畑は埋まるし、神聖な祭場は汚 される。更に竜巻が起きて吹き上げられた馬が神に捧げる為の機織場の屋根から落ちて来て織女が負傷する等々。余りの激しさに天照大神は岩戸の中に隠れられ た◎中心者を失った世の中は暗闇となり、丁度今の世の中の様で、生産は途絶える、前例を見ない類のあらゆる犯罪は多発する、如何がわしい思想や風俗の流行 等◎そこで神々が集まって対策を協議した結果は『事象の対策もさる事ながら、むしろ《プラス思考》で行こう』となり◎ウズメの神が真心を表現した踊を披 露。神々がドット朗らかな笑い声の合唱。鶏は夜明が来たとばかりに歌い出す◎天照大神はこの意外な雰囲気に、そっと扉をずらして覗かれた◎此の時とばかり に、
『生産にも励んで居ます。この通りです』と緑の樹に取り付けた真新しい鏡や玉や織物を差し出した。その隙に他の神がお手を取って外にお連れ申した。これで再び爽やかな世の中になりました。


平成11年4月

昔から《はな》と言えば《さくら》を指すのだそうです。それ程桜が好まれたのですね。パッと咲いてパッと散 るいさぎよさもさる事ながら、真っ赤でなくて、ホンノリと薄桃色の清潔感が好みに合うのですね◎それにしても、思い出すのが終戦当時のこと。とてもお花見 どころではなく、たべるものも着るものもなく、住まう家さえ失って、生きることが精一杯。それが《闇》なる言葉を産み、列んで買う事を知り、人の心をただ 《物》《お金》がすべてにしてしまった◎アメリカで大量生産された物資が自由に手に出来るようになると、今度は物を大切にする心は忘れてしまって《使い捨 て》の時代です◎この頃やっとリサイクル等の言葉を聞くのですが、それも《物》が大切だからではなくて、ゴミを減らすのが主目的のようですね◎今世間で起 こって居る、今までに聞かなかった類いの犯罪や悩み等の大部分は、この五十年間の心の《ひずみ》に根差しているように思えてなりません◎とは申せ、とにか く私共は生きて居るのですからあまり不況々々などとばかり言わずに、静かに桜を味わうではありませんか。ドンチャン騒ぎではなくて。


平成11年3月

我が国では先祖祭の月が多く、八月のお 盆、春秋2回のお彼岸祭、年末のお墓参り。 さらに亡くなったお爺さんお婆さんの年回等々◎私共程祖先を大切にする国は他にないのではと思います◎正月の神迎も、本来は遠い遠いもう神様になってし まった祖先をお迎えしたのではないでせうか◎日本の神話では、人もすべてのものも同じ神様から生まれてきたものです◎だから、
太古から自然(生活環境のすべて)を大切にして来たのですね◎その中でも、今ここに自分が生きて居るのは親のお蔭であり、 その親を生んで下さったのはと、むかしの人は実感して居たと思います◎それは、生きる技術《すべ》や心の一切を直接教えて下さったのは親だからです。この ことは、最近よくテレビで見る動物の生態がよく物語って居ます◎古代から豊かな自然環境の中に生きて来た祖先たちは、このことを実感して来た筈です◎それ が教育の場は学校となり、その学校さえも今は《人柄》を育てることをやめました◎実は、神・祖先を大切にする心は人間の本質に係わるものですね◎尚、 私共の祖先は皆氏神さまのお世話になって居ることも、知って居て下さい。


平成11年2月

二月はとても寒 いのですが、もう春に入った季節の分かれ目とて《節分》でせうが、あの豆まきは子供にも楽しいものです◎厄除けと言えば、先日NHKで『老人力』なる本が 売れているとて、話題に取り上げて居ました。私は読んで居ませんが、老人の衰えを明るく捕らえようと言う意味のようです◎だったらその心の姿勢は若い人に も通用するもので、それを昔から《明るい心》といったものです。この頃よく耳にします《プラス思考》です◎節分の厄除けの行事にも、正月の祝いにも共通す るものです◎節分を機会にそんな心の転換をやってはどうでせう。不況々々とばかり言って居ては、あなたの周囲に沢山残って居る筈の嬉しい事までもが逃げて 行く事になりかねません◎成績の良くない子供でも、何か一つでも褒めてやればそこから立ち直るではありませんか◎それは、心の明るさから生まれる《努力》 によるのでせう。自然が与えてくれた力を発揮するのですから、益々強く成る筈です。これは惜しんではならない◎その心の力と肉体の力が自然の流れ(方向。 あるべき姿)に沿って働くから神様も助けて下さるのだと私は思って居ます◎当宮では節分当日《二月三日》は、朝から厄除特別祈願を受け付け、豆も差し上げ ます。



平成11年 正月
◎私共日本人は昔から、ものごとに《けじめ》を付けることに関心が深いからか、新しい年の始めを祝う気持ちが強いのですね◎まず神様をお迎えして、正しく 生きようと言うので《正月》です。又《睦月》(ムツキ)とも言いますのは、家族睦まじく今年も楽しく過ごそうと言うのですね◎ですから、氏神様を最初に三 社詣でなど一年を神様を拝む事から始めるのですね◎当宮では皆さんのお気持ちに応えて、午前0時の歳旦祭の太鼓からはじめて、 終日参拝者全員のお祓いを致します◎正月に金を飲むと健康になると言われて居ますので、神酒拝戴用の《金杯》と健康長寿の祈願を込めた《福笹》を準備しま す◎当宮は、斉明天皇様が国の厄難防除を祈ってお祀りになったと伝えられて居まして《除災招福》のご神徳のあらたかな神様です。皆さん初詣でに《不況消滅 景気招来・家運隆昌》を祈って下さい◎会社の営業繁栄や家庭の家内安全その他のご祈願も受け付け、特別ご神札を差し上げることにして居ます◎又神棚に祀る 皇大神宮と当宮のお札は初詣での時に受けて下さい。


◎ 大祓の神秘
夏になるといつも思い出す、高宮八幡宮での貴い体験があります。六十数年もの神主生活の中でただ一度の大切な思い出です。
当宮では七月の夏祭りが近づきますと、総代の皆さんがそれぞれ手分けして氏子中に、お祓いのご神札を配って廻っていました。八幡宮に奉仕するようになっ て三年目に、折角だからヒトガタの神事をしようと思って、総代さん方に相談してヒトガタを配ってもらう事にしました。 
私共は日常の生活の中で自覚するしないにかかわらず、不幸になる原因を作って行くものです。氏子の家の人達が不幸になる色々の「因子=諸々の不浄」を、ヒトガタを通して神様に祓っていただくのが、昔から行はれて来た大祓の神事です。
私は届けられて来たヒトガタを三方に盛って拝殿の正面にお供えして、夕方から神様にお祓いをお願い申し上げ一晩お預けしました。
翌朝先ず拝殿に参りますと、何という事でせう。
拝殿一杯に何ともえない「清浄の気」が漂って居るではありませんか。しかも、それがヒトガタを乗せた三方から出ており、三方から雲が湧き出て居るような感じです。
これは「芳香」かと思って、三方に近寄っても何の香りもありません。こう書きますと、何か見えて居たようですが、何か見えてた訳ではありません。けれど 言いようのない感動が湧き起こって来るのです。それは、「清々しさ」の実感でした。感のぬるい私にとっては、初めての経験でした。
この久方ぶりの神事を神様はお慶び下さったのでせう。そして高神らしく、神主である私に「神はちゃんと働いて居るのだぞ」「うかつに思うでないぞ」と神 は直接教えられたのでしょう。神は人間のように、くどくは教えられません。ですから、この事も唯一度だけのことでした。
氏子の皆さんも、忙しい毎日の中では神様のお陰に気づくといった実感は少ないでせう。でも、ヒトガタ大祓や御祈願をするなど、恒に当八幡宮に心を寄せて居る皆さんは特別のご守護を受けて居られる筈ですね。