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「神道がめざすもの」〈3.11以降の世界の状況〉講演録4

〈日本への核配備構想〉

先月の西日本新聞(朝刊)によれば、日米研究家の新原昭治氏が米国立公文書館で次のような関連文書を入手したという記事が載っていた。それによれば、フーバー国務長官は一、九五五年十一月十八日付けのロバートソン国防副長官宛て極秘書簡で、米統合参謀本部が世界戦略の一環として核兵器を日本に配備する必要があると判断した経緯が書かれている。五〇年代の米公文書によれば、原子力発電所を被爆地広島に建設するという案さえ、米政権内にはあったというから驚きだ。
通常戦力の優位を誇ったソ連を核報復で威嚇する「大量報復戦略」を採用したアイゼンハワー米政権内では、五四年五月、国防総省が在日米軍基地への核配備を求める声が強まるが、おりからの太平洋ビキニ環礁での水爆実験(「ブラボー」、爆発力は広島型原爆の約千倍)の際に百五十キロ離れたところで操業していた第五福竜丸(静岡県焼津漁港)が「死の灰」を被り、乗組員二三名全員が放射能被曝し、急性放射能障害に罹って死者も出たことから日本の対米感情が悪化し、翌五十五年には広島で三千万人からなる「原水爆禁止世界大会」が開かれるなど、原水爆禁止運動が盛り上がり国民運動となったため、アメリカは何とかして日本人の反核・嫌米感情を封じ込めようとして、原子力の平和利用という名目で原子力技術協力を加速させたという経緯がある。原爆・水爆実験でこの掛け替えのない母なる地球がどれほど汚染されてしまったかを深く思い知るべきである。アメリカとはこのように怖ろしい国なのである。かれらの頭の中にはいつも「日本での米国の利益」しか考えていないということを、私たちは常に肝に銘じておくべきだ。
それでも米軍部は日本への核兵器配備を諦めず、国務省と国防総省とが共同研究を始め、日本側には原子力平和利用という名目で指導層に金をばらまき、暫くは日米間の原子力協力に専念することでやがて必ず「米国にとって最善の結果」が得られるとして綿密に計画を練った。「平和利用」への理解が深まれば「軍事的な原子力計画」への理解も進み、「日本人の心理的な障壁を弱められる」という国防副長官の考えであった。そうして米核政策への「好意的な理解」を広めながらも、アメリカは密かに核爆発を起こす核分裂物資を含まない「非核コンポーネント」と呼ばれる核兵器部品を日本に持ち込み、配備したのである。(五四年末から六五年頃まで続いたという)

 

〈人間は原子力を完全にコントロールすることは出来ない〉

福島第一原発一~五号機の原子炉格納容器は「マークⅠ型」とよばれGE(米ゼネラル・エレクトリック)社が開発したものである。いまから三十五年前、GE技術者のデール・ブライアンバウ氏は「マークⅠ型の格納容器は小さいため圧力に弱く、水素爆発などの事故が起きれば耐えられない可能性がある。製造を許可すべきではない」として停止を求めたが、GE幹部は「停止したらGEの原発ビジネスは終わってしまう」としてブライデンバウ氏の忠告を聞き入れなかった。
マークⅠは「格納容器を小さくした結果、配管や配線が無理な形で押し込められており、強度やメンテナンス作業に難点がある」とし、「小型化で製造費は安価になったが、利点より欠点が多い」と指摘されていた、つまり欠陥品を掴まされたという訳である。
これでは目も当てられない。ベントを後付けしたものの、それにはフィルターさえ付けてはいなかったのである。それでよくも「クリーンだ、安全だ」などと平気で言ってきたものである。日本は大きく国策を誤りました。
政府と電力会社は今回の事故を起こした最大の責任者であり、最大の犯罪者である。金や地位に目がくらみ、己の既得権益に必死にしがみつき、飽くなき欲望を満たさんとして、地域住民や国民の生命(いのち)と財産をまったく無視し、まさに此の国を売った者たちなのであり、これは全くの犯罪であります。