「真の幸せの道」を求めて   人はなぜ病むのか 2


3. 如何にすべきか
      原因は「親の生き方」にある

 一体「人はどのように生きるべきなのか」「どう生きるのが本当に正しい生き方なのか」「人としての踏み行うべき道」と言うものを知らずしては、バランスも調和もあったものではありません。自分たちが「親」を大切にしないで「子」はどこで「生命の大切さ」を学ぶのでしょうか?…。

 明治以降、欧米列強に負けないよう、それに追いつき追い越せとばかりに我が国は急速に「近代化」を推し進め、西洋の目新しい文化を盛んに取り入れ模倣すると同時に、彼らの科学合理主義・唯物主義・個人主義思想までほとんど無批判に受け入れきたのであり、戦後は一層その傾向に拍車がかかったと言えましょう。その為にそれまで大切にしていた先祖以来の麗しい生活習慣や伝統、文化という物をいつの間にやらスッカリ反故にしてしまいました。
 勤勉実直な日本人は戦後の物不足と精神的虚脱、廃墟と化した町から必死に立ち上がり、汗水垂らして働き続け、努力に努力を重ね今日見るような豊かな物質的繁栄を築いて参りましたが、と同時にふと気がついてまわりを見渡してみると、従来「東洋の君子国」とも言われ、世界の道徳的模範であった「神州清潔の民」はその生きるべき「道」を見失い、民族の気高い精神と道義心は何処かへ忘れ去り、国も町も村も家庭もその強固な生命の絆はズタズタに断たれ個々バラバラに解体され、全く行き場を失ってしまいました。
「隣は何をする人ぞ」というごとく、人々は個々バラバラで互いに無関心・無干渉を良しとし、地域共同体の絆はどんどん解体されていき、その社会の価値の中心であり人々を結びつけていた神社の神々と氏子関係は次第に弱体化し、人々はもはや共通の同じ物語を紡げる喜びを失い、誰とも〈真に心をかよわす〉ということが出来なくなり、ために誰もが〈精神的に不安定な状況〉に置かれていると言えましょう。
 
 人心の荒廃ぶりはすさまじく、人々はすっかり人間性を喪失し、「神を畏れ生命を畏敬する心」を無くしてしまい、己の生命をこの世に生み出し育んでくれたどんなに感謝してもなお余りある「生命の源」である自分の親・先祖の御霊さま方や御英霊をないがしろにして平気な人間ばっかりになりつつあります。この世には金・物や己の学歴・地位よりも大切なものがあるのだということが、分からなくなってしまいました。この頃は「世のため人のために」と言った生き方をする人が少なくなり、他人や社会・この国がどうなろうとかまわない、「自分さえ良ければいい」といった「吾良し」のエゴの塊のような人間が増えてきました。それと呼応するかのように、現代社会は「ストレス社会」とも言われるように〈精神を病む〉人々が非常に多くなってきました。

 見えない神仏や、人間死後の世界などはまるで信ぜず、「自分が今在る」のは神仏のお蔭、親・先祖のお蔭、社会のお蔭であると言うことに全く思い至らず、すべては自分一人の才能・努力によるものだと思い誤っているその〈自己中心的な生き方〉をする親こそが、その家の先祖から反省を求められているのだとも言えるのです。
 原因は発病したその子供にあるのでなく、実は〈親・先祖を常々心から偲び供養する優しい心〉を持たない自己中心的生き方を続ける両親にあるのです。死者の御魂がしきりに気付いて欲しいと訴えかけているのは、子供でなく、その親に対してなのです。

 4. おわりに  「鎮守の杜」の復権

私たちの遠い先祖がその瑞々しい豊かな霊性と感性、叡智で残してくれた『古事記』神話や古典を宮司さんや神主さん方と共に紐解き、今こそもう一度、日本人のアイデンティティを、その誇りと自信を、強い絆を取り戻しましょう。そして、身の回りの知人・友人や子や孫達に自信を持って「人間はどう生きるべきなのか」「どのように生きるのが本当に正しいのか」をシッカリ伝えていきましょう。

 神社は地域社会のネットワーク作りに強い力を持っております。私たちの幸せのもと、価値の中心が鎮守の杜なのですから、神社を中心にちょっとした挨拶や言葉がけを大切にし、人々の和をより一層大きく広げていこうではありませんか。
身の回りの人達が一人で悩んで社会を騒がすような邪教や悪徳宗教教にだまされ取り込まれることのないように、〈自分は一人ではない〉のだということを誰もが信じられるような、お互いに心から助け合える強固な地域社会の絆〈関係〉を神社を中心に取り戻しましょう。
 私たちのこの肉体は時間の経過と共に年々生理的に年を取っていきますが、内に宿る精神・心は年を取りませんし、また老いることもありません。
心はいつまでも青年時代の若々しさを保ち、輝いて生きていこうではありませんか。どんな方でも生命ある限り、神に生かされている限りはこの世に果たすべき使命・務めがあるわけですからともども斯界の発展のために頑張りましょう。

 私たちはとにかく肉体だけをすべてと思い、現世中心の物の見方や考え方をしがちですが、この現象界にだけに捕らわれた人生観・世界観を改め、霊的実相世界をも含めて「世界」なのであると言うことを認識する必要がありましょう。この肉体が滅んでも生き続ける不滅の霊魂の存在することを知って、死後決して「ああしたかった、こうすべきだった」と様々な欲念や思いを残し、苦しみ嘆き悲しみ、焦り、戸惑い、悔悟の念に苦しみもがいて、子孫や血縁者に取りすがって困らせることのないよう、日々なんとしても悔いのない人生を送りたいものだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

13 + 2 =