「真の幸せの道」を求めて


人はなぜ病むのか

平成十二年六月三日 神社総代会 講話

1.はじめに

 環境破壊、政治の貧困、経済の破綻、宗教・教育の堕落、悪質詐欺、法曹関係者の犯罪の急増、警察、・自衛隊の不祥事、忌まわしい凶悪犯罪の頻発、悪質外国人の横行、広がる麻薬汚染、悪質極まりないいじめ、少年犯罪の多発、家庭崩壊…などなど、内憂外患のまことに憂慮すべき深刻な今日の社会状況はここに改めて述べるまでもございません。

 戦後の日本社会は「親が子供を説得できない」という、大人が日本人としての誇りと自信、〈どう生きることが正しいことのか〉という生きるべき「道」を見失ってしまい、誰もが「拠り所」を求めて探し回っている時代と言うことが出来ましょう。
 つい先日も五月の連休に十七才の少年によるバス・ハイジャックや動機無き殺人事件が発生し、社会に衝撃を与えました。
入院先の精神病院から一時外泊の許可を得て、出てきたその日の犯行であったという。「優等生であった」という少年達が何故、このような犯罪を起こすのでしょうか?。大人しい良い子であった子供達がどうして家庭内暴力を振るうようになるのでしょうか、「精神を病む」に至のでしょうか?…。本日はこの点について皆様と共に考えてみたいと思います。

 2.人はなぜ病むのか
      精神病は死者からのメッセージ

 記紀などの古典を見ますと、たとえば第十代崇神天皇の御代に疫病が流行り、国民の大半が死に絶える事態に至ったがそれは大物主神の神気(かみのけ)・祟りであった。また、允恭天皇(『日本書紀』五年秋七月条)に己丑(十四日)に地震があったが、その原因は反正天皇の御魂の怒り荒びによるもであった。天皇の殯宮に供奉しなければならい筈の「殯宮大夫玉田宿禰」が不埒にも殯の任務を放棄し、他所で男女を集えて祝宴を催していたために天皇の御魂が怒り荒ぶるに至ったのだと記している。

 また、「古記」によれば長谷天皇(雄略天皇、一説には景行天皇とも)が崩じた際に、殯宮に遷して七日七夜の間「酒食」を奉らなかったために天皇の御魂が怒り「荒びたまいき」とあり、その御霊のために諸国に遊び部・比自支和気を捜し求めた記しております。
 これらによっても、古代から〈御魂を鎮め和す〉ということが如何に大切な事であるかが分かって頂けるとこと思います。
 一昔前までは「お天道さんが見て御座る」「ご先祖さんに顔向けが出来ない」「それでお前の道が立つか」などといった言葉が如実に示しているように、私たちは〈見えざる神や仏、ご先祖様の存在〉を自明の事として信じて疑わず、誰もが日々の生活の中で神仏・死者即ち〈親先祖の御魂と向き合って暮らしていた〉ものでありました。
 四季折々に、つまり春秋の彼岸やお盆・年忌の時ばかりで無く、日々地元の氏神様や親・先祖のご恩を片時も忘れることなく、それは誰もが人として当たり前のこととして心からの〈感謝の生活〉に明け暮れしていたのです。
 そこには遠い遠い先祖からの【接続の生】というか、しっかりとした【生命の連続】【生命の継承】がありました。このように先祖(死者の御魂)と子孫との関係が正しくある限り、人の道を踏み外すような余程のことでも無いかぎり、死んでから迷うというような御魂もいなければ〈先祖が警告する(霊の憑依)〉などということも無かったのです。このことを皆様、心に留めておいて頂けたらとおもいます。
 
 如何なる民族もその民族固有の神話、伝統的精神と独自性を、民族の誇りを失い、帰一すべきその「中心」を失ってしまったら、糸の切れた凧のように果てしなく暴走を始め、しまいには滅亡するしかありません。
 この太陽系宇宙においては惑星は太陽を中心に自転公転していることで、その調和・バランスが保たれております。中心たる太陽との目に見えない繋がり(絆・関係)があればこそ、世界は崩壊せずに秩序を保っているのであり、国においても家においても同様でありましよう。
 皆さも良くご存じのように、記紀「天石屋条」において天照大御神が岩屋戸に籠もられたことによって常夜往くこととなり、あらゆる災いが満ち満ちて世界はまさに崩壊の寸前までに至りました。
 何事においてもこのバランスをとること、個と全体の統一・調和が大切と申します。心と身体のバランスを欠いた時には人は心身の〈病に罹る〉のであります。バランス調和と保つには、一体〈どうあることが正しい状態であるのか〉を知っていなければなりません。

 樹木は太陽の光熱や炭酸ガスばかりでなく、目に見えない地面の下の根からの水分や栄養の吸収あってこそ天地の間にスックと聳え立っていることが出来るものであります。この「根」と「幹」と「枝」のバランス(調和)と申しますか、繋がりあってこそ樹木は生命を保ち得、未来永劫にわたって繁茂できるわけでございませんか。一家の中心とも言うべき、また、生命の元・根とも言うべき親・先祖の御魂と断絶してしまっていては、私たちの生命も日々の生活もただちに枯渇していくかありません。
 私たちが常々、親・先祖や血の繋がる近親者の御魂を《心から偲び、慰霊供養する優しい思いやりの心》忘れて去っていては、自分が死んだと未だに自覚出来ない死者、いつまでまでもこの世に様々な思いを残して彷徨し続ける、いわゆる悟り無き〈未だ成仏できていない御魂〉は浮かばれず、救われる機会なきため、その〈堪え難い苦しみ〉を血縁者のものに何とかして分かってもらおうと必死に訴えてくるものです。それが近代医学が「精神病」と称しているものの主な原因となっていることが非常に多いのだと言うことを私たちは知るべきだと思います。 つまり、「精神病」は病気でないのであり肉体の病でない以上は単に薬や注射では治らないということ、親が死者の霊魂を真心込めて慰霊しご供養していけば必ず治るのだということなのであります。


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