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「無私の精神」と鎮魂―霊学初(うひ)学び 3

 

「邪霊・妖魅」というものについて③

Ⅶ. 魔にやられた時(魔に入られる・魔に魅入られる)の現象

① たいていは普段でない言動、その人らしくない言動があり、よく観察していれば、誰にも「おかしいな」と気付く。当然のことながら、本人は「魔」にやられていることにまったく気付かない。魔物はその人の弱点を徹底して突いて来るのである。

② 普段していることがすべて「ちぐはぐだらけ」になり、その人らしくない言動を取る。

③ とんでもない、とっぴなことを言ったりしたりして、身内や周囲の人を驚かせる。

④ 少しずつ心境に変化が出て、正しいことが悪く見え、悪いことが正しく見えてくる。正しい判断が狂わされるので、おかしなことばかりをする。

⑤ 頭がボケてしまい、何かにつけてその人らしくない、おかしな言動、不注意な言動ばかりをするようになり、物事を任せられないようになる。何かにつけて人がしてほしいことはせずに、してほしくないこと、余計なことばかりをするようになる。

とにかく、人の気持ちを逆なでするようなことばかりを平気でしでかすようになる。

⑥ 反省心が乏しくなり、素直さがなくなる。まるで常識というものが欠如して、女性は婦人としての節度や慎み心がなくなってしまう。非常な気短かになったり、ヒステリー症状を起こし、些細なことに対しても狂人の如くになって、急に大声を出したり、泣いたり…と、手が付けられなくなる。

このように大抵、邪霊は女性の背後から近づき、その後頭部に悪霊気を絶えず吹きかけて婦人としての慎み心を失わせ、ヒステリーを起こさせ、男性はといえば睾丸を抜かれて気力喪失し、勇気に乏しくなり、男女とも便通にまでも支障をきたすようになる。人格に変動を来たし、廃人同様の現象を顕して来る。

要するに、霊的に言えば、気が振られて「直霊(なおひのみたま)が曲霊(まがつひ)に変化してしまった」のである。霊的思考力を亡失してしまい、内的盲目者の如くになるのである。

何の力もないのに調子に乗って、己の力量を買い被り、自分の力量以上のことをしでかすようになる。

これらはすべて、その人の信仰が中途半端で徹底しておらず、その人の油断や慢心、慣れ、欲心、猜疑心、心の隙を魔物に狙われ、つけ入られたのである。

これを防ぐには心に隙や油断をしなければよいのであるが、普通人にはどうにも手の施しようがない。

⑦ 特に、神が世に出る時や、正義が世に顕われようとする時には、このようにして必ず、魔界の魔物たちがさんざん邪魔(妨害)をしてくる。

⑧ 妖魅邪霊どもは本人が志操堅固でどうしても崩せないことを知ると、今度はその人の家族や身内、仲間らを操って、嫌気を起こさせようとするのが常套手段。

一度目をつけたら、家の中までも侵入して来て、夫婦喧嘩を起こさせたり、物事に失敗させたり…と、徹底して「一家の攪乱」をはかるものである。(離婚の原因の多くはこれ)
家族をごちゃごちゃに揉ませ、搔き回して、ついには病人や狂人を出すに至る。親子の喧嘩、夫婦離婚などは大抵、こうしたつまらぬ邪霊共にやられていることが多い。勿論、救いを求めての無縁仏の境涯に墜ちた先祖霊たちの強いメッセージの場合も同様の現象が起こることがある。

⑨ 次第に、背後で操る霊物(憑霊)の容貌(顔つき)や動作を取るようになり、憑依霊と似てくる。不良性を帯びたつまらぬ邪霊どもに支配され、踊らされているのである。

⑩ このような場合、尊い神の御光に浴する以外に、助かる道は無い。

これによっても、神仏に仕える者にとって、常日頃の真剣な「修行」というものが何故に必要であるかが判然としよう。この道理が分かるものは今、殆んどいない。

〈正神は不思議や奇跡を以て人を導かない。正法に不思議なく、徒に奇を好むなかれ。〉