「直日霊」

「直日霊」
人の直日霊は神そのものであり、全くの善であり光とされています。人が計らい心を捨て全くの無心になりきれば人の直日霊が働くようになり、人は本質である神そのものとなるとされています。無心になり神心になると、人の精神は直日霊そのものとなりすべてを映す鏡となります。
「カミ」と「カガミ」語呂が似ており、鏡から我を外せば神になると誰かが語呂合わせで言われいたのを聞いたことがあります。旨いこというものだと感心しました。確かに鏡は不思議なもので、そのもを映し出しますが、あくまでもそのものでなく映ったものであります。 神社では鏡をご神体に使いますが鏡に太陽を当ててそれを見ると太陽そのものであり、鎮魂中に見る御神霊の光と同じく見えます。それでご神体にしたのだと思ったことがあります。

〈古神道のある流儀では太陽を見てその残像に集中する鎮魂法があり、まざまざと太陽を見つめている感覚になります。また、中国の道教系の神像には三丹田=額と胸と肚に鏡がついた像があります。三丹田に光をイメージする瞑想との関連が窺えます。〉

この直日霊は自分自身の本質なのですが、私たちの普通に生活し思考している顕在意識では知ることも計ることも出来ません。それでいて私たちの最高の指導者なのです。私どもが心を澄ませば直日霊から叡智が流れ込み気がつかぬ内に正しく歩んでいけます。
神道の鎮魂修行には次のような教えがよく言われます。「神道は人の知恵の入らない神の叡智の教え」、「神と自分の間に人を介さず、神から直接習う」「神習う道」。さてこれらのことは直日霊を師として習うことを意味しており、その直日霊が実は御神霊であると言うことが、随神の道の要諦なのです。これを知識として知るのでなく、魂で自得すると言うことなのです。