通じ合うということー見えざる物を貴ぶ 心を養う2


都会で自然環境の規模も小さいので、この地は自然環境がケガレを浄化するには不十分です。それで神主が潔斎して神霊の祓いをお願いし、なおかつ熱心な氏子さんがいてこそ保たれています。
それで祈願の量を調整したり、熱心で清らかな方にご神霊の増長弥栄をお祈りして頂き神社護持のお手伝いと共に家内安全と霊性向上の祈り(崇敬会)をして頂いております。
参集される皆様の真心の積み重ねで奇跡的に今の状況を保っていると拝察申し上げており、お陰様でその真心に答えて頂く神霊のご守護のあらたかさを深く感じております。
これらのことは人が心もその意識も肉体も他の存在と通じ合う同調することの現れです。これを感応同行すると言い、古語では感(かま)けると言っております。このかまけるというと心奪われ捕らわれると言う意味合いで、知らない内に何か見えざる物に心奪われる、我を忘れてしまう、憑きものされてしまう、という感じがあります。
自分自身のことを思い返せば思い当たるところが多々あり、気がつかない内に周囲からいろんな影響を受けていることがあります。自分の体調をはじめ物の好き嫌いや嗜好、思想や思いつきなども作用されています。「朱に染まれば赤くなる」とは言いますが、つきあいの大切さその影響は知らない内に人の霊性にまでも作用しますから大変恐ろしいことです。また改めて自分を省みれば色んなことにかまけて人生歩んできた訳で、良いも悪いも判断できてないことが多く、運良く此処に居るという風に思えます。
ご縁が大切とは言いますがそれを取捨選択したのは自分自身というより神様のお力。「困った時の神頼み」と言いますが、「困らぬ先に神頼み」して神に手を引いて頂き、神の杖を頂きお支えして貰ってやってこられたと思います。お陰様(神様)に気がつかない内にお支え頂いたのでした。

知らない内に様々なモノと通じ合う私ども。体と心、その間に関わる気や幽体、アストラルなど正邪の区別なく存在しております。正神と正佛とモノノケの区別は人の知恵では区別できません。神を祈り想う真心だけが正神に感応し自ずと邪を避けていくとされています。
体や心、気=幽体のケガレはモノの祓いで取れていきます。例えば禊ぎをする、祈り祝詞を唱える、お祓いを受ける、人形祓いなど。しかし、魂にかかるケガレは鎮魂によって正神界の神気を直接受けなければ祓えないとされております。
鎮魂法(真の修行=神と通じる法)は真心を練り鍛えることだとされる所以がここにあります。

本来なら秘して語らず。口伝とされ、教わるべき境涯に足しないと誤解を生みやすく、注意して語るべきところまで申し上げております。それほど世は危機的な状況となっているようです。

神仏と先祖を祀る      見えざる物を貴ぶ 心を養う


 近頃は神社とお寺の区別がつかない方が多いです。また逆に明治の代になるまで神仏習合していたことを具体的に知らない方がほとんどです。神社の中に仏像が、お寺の中にお社が当たり前のようにあったのですから、今では想像が付かないことかも知れません。

 江戸時代は寺請制度(檀家制度)があり、仏教がいわゆる国教であり、仏教以外の葬式は出来ませんでした。お寺は大変な権力、権威があり、戸籍の管理や宗門改をしていました。ほとんどの神社もお寺の管理下に置かれていたようです。明治になり神仏分離令のもとで、寺と神社を分け、また廃寺になった寺もあったようです。その折り坊主から神主に成り変わって神社にお仕えしているところも随分とあります。行政による制度的変遷があり、現在のように神社とお寺は全く無関係のようになり、信仰としても別の物として考えるようになっています。
 当社も三十三観音をはじめ随分と仏像があったそうですが、当時の氏子さん達が粗末にならないように近くの格式高い成就院に納めています。

神道や仏教などの信仰は文化として価値観や社会のあり方に大変重要な影響があります。それで学問(宗教学・社会学等)としても国際的には重要視されているのですが、日本の教育においてはその価値が軽視されている状態があります。そして伝統文化を破壊するような異常な政教分離が教育や行政の場で執られています。
 伝統的な日本人の文化や価値観を意図的に壊すような操作がされている感じを強く受けます。来年には天皇様の譲位に伴う即位式や大嘗祭が行われますが、昭和天皇様の折にも法の解釈などを盾に、伝統をつぶし、皇室の弱体化を通して日本を落とし入れようとする気配が感じられました。
 このような事態を招いたのは、日本人が古代より持ち続けてきた素朴ながら深く清浄な感性、そこから培われた日本人の生き方と価値観。それを壊すように、見えざる物は存在しないという考えを、幼い時から教育の場ですり込まれて、気がつけば見えざる物は存在しないと無意識に思い込まされていたからです。つまり私どもは無意識の内に、見えざる物は存在せず無価値の物としているわけです。そして、日本人は戦後教育を通して神仏と先祖に対する畏敬の念を失ってしまいました。その裏表として、人そのもの、命そのもの、自然そのものに素直に畏敬することをなくしてしまいました。
 一昔前までは日本人は自然(神)にも物にも心があるとして接していましたし、行動しておりました。自然や物 を粗末にすると自然から怒られる、見放される(恩恵を受けれなくなる)、報復を受けるなどと考えていました。同じように物にも心が在るとしたり、物に心を込めたり出来るとして、何事に対しても心を込めて真心で対応することが、人として大事なこととされていました。
 この見えざる物を貴ぶ感性(日本の霊性)そのお蔭で、日本人は勤勉で真面目であり、人の目がなくても手抜など行わず、人に知られずとも自分の真心からなる行いは神や仏やご先祖が知っておられるとしていました。そして世界で一番民度の高い国でした。

 昨今は見えざる物は認めな風潮が強く、その為神仏や先祖、そして人の気持ち、心や想い、そして生命や生命そのものの価値を認めない心情となり、その価値(日本の霊性)を認めない社会が出現しつつあると思えてなりません。
 家には神棚があり仏壇がありご先祖を祀る位牌などがあり、そしてそこにはお供え物や榊やお花などもある。見えざる物を貴び祈るという行い無しには、日本人の高い霊性は取り戻せません。道義心が強く、優しく思いやりの在る人柄の良い安心で安全な国はなくなってしまいます。
 私どもは神仏先祖を祀り、取り戻すことが必要です。神様、佛様(ご本尊)、先祖(祖霊・ホトケ)毎に祀り方があり、対応の仕方があるものです。それを正しく行うことで、家庭も社会も秩序がもたらされ、平安な暮らしが出来るとしてきました。
 そして、日本人は生き方の鏡として両陛下のお姿と大御心に触れるのです。

ケガレ・祓へ・潔斎 2


今までは身体的な祓いについて書いておりますが、精神感応するケガレがありこれはとても厄介です。落ち込んだり、寂しくなったり、イライラしたり、怒りがこみ上げてきたり、卑しくなってものが食べたい飲みたいとか、その極みは死にたくなったりすることもあります。この場合は外部からの何らかの影響でこうなったとは気づきませんので、そのままやり過ごすことになります。
おかしいと気がつけばそんな折は取り敢えず御行(お祈り)をすることです。何時もお祈りしている方なら、お祈りの精神状態の違いを感じて自分の感情でないことを知ることが出来ます。そして、そのような気分になる前に話した人や起こったことなどを思い浮かべて行くと、関係があるところで何らかの反応があります。精神感応した対象が判明すると急に自分の心境が正常に戻っていき、これが原因だったと確信できます。今までが嘘のように気持ちが変わりますので祓った人も祓われた人も共に感じるものです。

祈願では祓戸大神にお願いするのですが神主の気とそこに降臨する神気によって祓われます。神気を降臨する能力を鎮魂力と言い、人の魂の働きによって神様(神気)をお呼びすることが出来のです。その魂の働きを強める為に禊ぎ潔斎と言われるお祓いが重要視されます。
※古事記の三貴子(天照大御神・月読命・須佐之男命)の出現は禊ぎの最終で行われており、最も尊い神が禊ぎで最も清まった極みに出現されています。人の神性顕現は清めに清まって起こることを伝えており、人生の意義が語られているとされています。人は神の子孫であり、神と同質の直日という御魂を授けられているとする。〈古神道の口伝〉

また同時に祓詞や大祓詞祝詞の言霊の力、それと太鼓や鈴、拍手などの音霊の作用もあります。
ご自分で祈っても同じように祓われるのですが、自分では穢れと同期しているので取れにくいことがあり、人から祓ってもらう方が効果的なことが多いものです。
それと気分転化をするとその瞬間に落ちるようにケガレが取れることがあります。それは同調してチャンネルがあっていたのが切り替わるような感じです。また眠りや精神統一も同じように瞬時に変わることがあります。
とりわけ鎮魂と言われる神道の深い統一状態においてはその変わり様は驚くほどです。
このケガレは人の想念から作り出され、積み重なり同質の物が集合を繰り返し、巨大になっていくとされています。そして家のケガレとして先祖から子孫に継承されたり、土地のケガレとして残っていったり、組織や団体に関わって存在するもの、また国家と言う単位でもケガレとされるものがあるとしています。このケガレが溜まると個人レベルでは病気、事故、争い事や様々な不幸な事が起こるとされています。その原因がケガレというわけです。
大きく国家や社会レベルではケガレの蓄積によって気象異常天変地異が起こり、世が乱れて紛争が絶えないことになるとされています。古来の大祓は国として平安である為に天皇様から政治家官僚、国民の末々に至るまで祓いをするとされてきたのです。今、日本の国の様を見れば、異常気象と地震や火山活動のいわゆる天変地異が続き、隣国の中国、韓国、北朝鮮などの紛争の火種の中に居り一触即発の一歩手前という感じです。
このような時の気象異常天変地異は神々=自然のケガレを祓おうと自浄作用であり、警告でもあります。
国家レベルの大祓には天皇様の祈りに心合わせる国民の祈りが必要になります。江戸から明治そして戦後とを比べると、人々はどれ程神仏先祖に対する崇敬心を失ったことでしょうか。家庭には氏神様、釜戸の神様、井戸の神様、ご先祖を祀り、辻々にも地の神様、お地蔵様、庚申様などを祀っていました。そして、何をしようとも、どこへ行こうともまず祈ることから始めておりました。
神々からこの世を任されているのが皇孫である天皇様であります。天皇様からこの世のことをお任せ頂いているのが総理大臣以下すべての国民というのが日本的な霊性から見る社会観です。
それゆえ、長(おさ)司人(つかさびと)と呼ばれる政治家、官僚、経営者らは無私につながる公正さを自他共に必要な事としてきました。天地神明に奉仕し、世間様に無私に奉仕する心根が神霊を動かす唯一の力です。人々に神霊を動かすほどの真心が求められている時であります。
「 天に代わって政道を正す」。残念ながら、もう時代劇でさえ聞かないフレーズです。
天に任して地に頼る、天地と共に生きて生かされる。随神の道は宇宙不変の法則に連なる真理の道。古来日本人はこの道に連ならんと祖霊を祀り、天地を祀ってきたのです。神社ブームを超えて真にかんながらの道の復興を願います。
「神道は祓へに始まり祓へに終わる」まずは自らのお祓いからですね。

ケガレ・祓へ・潔斎


☆ケガレを祓うと一般に言っていますが、まずは汚れたものをすすぐイメージがありますね。

それでは実際にはケガレをどのように捉えているのか述べてみます。
人は五感=視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚、そして第六感を通じていろんな事を感じ取り判断の材料にしています。ケガレも同じようにまず五感に感じます、そのことを魄に感じると言っています。つまり肉体に感じ取る言うことです。具体的には体調の変調として感じ取ることが多いものです。たとえば、疲れる、頭が痛い、ぼんやりする、眠気がしてくるなどから、風邪の引き始めの症状や悪寒、咳、吐き気、微熱の出た感じなど。
さらに病気の相手に強く感応した場合は相手の病気と同じような症状が出てきたりします。自分の経験ではひどい時は三日ほど寝込んで二週間ぐらい元の体調に戻らないことが頻繁にありました。いつも病気でなく霊的な症状だからほっておくことが多かったのですが、むくみが長期的に続いた時は医者から腎臓の検査を受けるように言われました。そして、そんなことやっていると確実に機能は失われていると指摘されたことがあり、それ以来きちんと医者に罹っております。

ケガレを受けて急に体調がおかしくなった場合でも、現象として出た場合は医療行為は必要になります。経験的には漢方的見立て(診断)と投薬や施術が効果があるようです。霊的というかある種の影響・感受性で病気と同じ症状が出ているからなのでしょうか、軽い症状の時は検査等では何も出ないこともよくあります。まあ、未病以前とでも言ったらいいのでしょうか?。
リンパ線と漢方の経絡とヨガで言うチャクラには邪気、汚気、悪気といわれるものが溜まってしまいます。もちろん経絡、チャクラなんてものは実際の体には存在しないものです。しかしケガレを祓い続けていくと様々な感性が研ぎ澄まされていきます、そして今まで感じ取ることが無かったものが少しずつ感じられるようになり、ケガレていること清まっていることの区別が判然とつくようになります。
それは場所や空間のケガレ、物についてるケガレ、思想などの考え方や人の思い、感情などのケガレなど、あらゆる所に気の清濁があることを感じ分けるようになります。

ケガレを受けた場合はお祓いをすることになるのですが、まず禊ぎをするこれはお風呂に入ったりシャワーの温水でも効果はあります。塩や汲み置きの海水、井戸水、また入浴剤も効果的です。息を吐く、吐瀉する、排泄する、汗をかく、漢方で言うと寫の行為をすると穢れを体の外に出すことが出来ます。
人は無意識に体の痛いところに手を置きますそれで手当と言いますが、手から出る気の効果もありますが触る揉む叩くなどの刺激でも取れていきます。ケガレも体の中を移動するものは最後は手先、足先、肛門周辺から出て行きます。また、祓い代とも言いますが人形や麻などで体を撫でてケガレを吸い取らせることをしますが、常緑樹の小枝、榊なども効果的に取れます。最も効果が強いのは海水につかることです、裸足になり手足を洗うだけでも随分と変わります。
強いケガレはお祓いを何度となく繰り返して徐々に取れていくことが多く、一度でスッキリ全部取れることはありません。表面が取れると体の中からまた浮き上がってくる感じです。

神道の真髄は神霊とのつながり


◎ 師や先達を通じて心境が進み、志が堅固になって神に正見出来たなら、神直接の教えを受け取りなさい。人の濁れる知恵などに依らずに…。

何も心配なさるな。人は神授の直日霊を受けており、直日霊に解らぬものなどはない。随神の正道は人の真心浄心に託すのみ。

◎ 日本が世界に誇るべき一番の精神性、世界の行き着く先の唯一の希望となる道(教え)。それがこの日本文化、神道の心髄としてあるかんながらの道、古道と言われるものだと思っています。
世界中には多くの信仰の書や精神世界の本などありますが、人の本質である直日霊について触れた文章はほとんどありません。この直日霊の突き動かしにより「和の国」と言い、「和を以て貴しと為す。」とした日本人。「人種差別撤廃」を説き「植民地解放」を導いた日本人。今、日本人はこの道を継承しなくてはならぬ使命があると思っています。