平成27年もあと半日となりました!

皆様にとってこの一年間は如何でしたでしょうか。

平成27年も国内外で様々な災害や社会問題政治問題が起きました。
起きたと言うよりも今までの手抜かりや放置していた事が浮き彫りになった、と
言った方が良いかもしれません。
天道には逆らえないから・・・とか、人道は誰かがやってくれるだろうから・・・とか。

つい、変に達観した気になって、うかうかと過ごしてしまいがちな私たちですが、
「それは果たして清々しく明るいものであるか」
「それは果たして正しく直きものであるか」
「それは果たしてわたくしごころから出てはいないか」
だけは、判断の基準にしたいものです。

穢れのなかに「取り越し苦労」と「過ぎ越し苦労」があります。

今年が去年になる、来年が今年になる、この大晦日から元旦にかけて、
「反省」はしたとしても、そんな苦労は皆様なさいませぬよう・・・

どうぞ皆様、よいお年をお迎えください。

管理人 いづのめ

質問=神棚を祀る効果、メリットは?

質問=神棚を祀る効果、メリットはどんなモノなのですか?

お答え=必要な質問です。大昔は家そのものが神様のお住まいであり、大黒柱や棟、屋根に神が降りてこられ人と一緒に暮らしていただけるとしていました。また、近世では床の間を設け一段高したその上には上がることはありません。そして天井は仕切られ別空間になっています。そこに神や遠祖のお祀りしました。神様を祀るとは神棚などに神気をお招きして、貴人に見立てておもてなしすることでした。
妙な言い方かも知れませんが、神棚を祀ることは家の中にパワースポットを形成することです。神気が満ち溢れるようになれば榊やお花が枯れずに長持ちするようになり、気持ちの落ち着く場所になります。少々の体調不良などはその場所にいれば回復するようになります。また、お供えしたお酒や食べ物が美味しく感じられるようになります。
その逆のことが起こればケガレと言われるマイナスの気がありますので、心と行いを見直して健康を始め諸事に注意してください。
家に神様を祀られると昼夜を問わずお守りいただけますので一番効果的な開運法です。特に悪い事が続くときなど何かに魅入られたと言いますが、魅入るのは寝ている時とされますので、転ばぬ先の杖と言った家内安全の要となります。

遷宮の思いで 夢のご承認 (五)

      
 
 この遷宮を「四百年ぶりの遷宮」と呼んでいたのは、黒田長政公よりご本殿をお頂戴したのが、西暦一六〇二年だからです。それで、四百年後の2002年(平成十四年)から十年計画で遷宮をすることにしたのでした。
 正直に申し上げますと、十年という計画の長さは何も計画が立っていない、資金計画の当てがないと言うことでした。今現在の資金と浄財募金で出来るとこまで行い、後は時間をかけてと行くか…、神様任せと云うことになりましょうか。
 その頃、社務所兼社宅は補修不可能で取り壊しており、参集殿を社務所とお札所代わりに使っていたのですが、これも床が何度も落ち、屋根も下がってきている状態でした。建物の安全性には時間的猶予はなく、必要に迫られて遷宮は見切り発車となりました。
 本殿を建てれば拝殿の建つめどはなく、拝殿を建てても社務所と参集殿がなければ何一つ社務が出来なくなります。神様に誠に申し訳なかったですが、まず最初に社務所参集殿を出来るだけ境内が広く使えるように建てることにしました(H15年9月~H16年3月)。ここまでは予算もあり順調に進みました。
 社務所参集殿も本殿拝殿も境内の造成も不思議なことに自分の中にイメージがあり、いつの間にか設計も最善の形で収まっていきました。しかし、本殿拝殿末社参道その他はすでに予算がなく、募金だよりと云うことです。建物のイメージはあっても予算の方は全く解りませんから、設計が進むにつれてタツ工房の野中設計士とコストダウンの為に頭をひねり続けて、熱が出る日々が続きます。設計士は理想とするプランから何度も建物を縮小した案を持ってきますが、それではどうしても納得できません。
 その後、設計の夢を見ました。それはこの設計プランは神様が御承認されており、必ず出来るからこのままで大丈夫だと言う意見を聞いて、私が納得しているゆめでした。
 その朝、設計士にこのままのプランで行きたいと告げると、直ぐに飛んできて設計には実行予算というものがあり、いわゆる原価だと言います。それでこの予算では工務店が赤字なることが明らかなのでどこの工務店も建設を引き受けず、計画が頓挫すると大変心配してくれています。それで何とか私に設計変更するように誠意を尽くして説明してくれています。それでも一度建てると後からやり直しは出来ませんし、夢のこともあり譲りません。
 そこで私の考えついたことは一つは予算はそのままで、時期を遅らせて資金準備の時間を取ること。もう一つは自分勝手な思いなのですが、予算が厳しくとも本殿拝殿をこの規模で建て替えることは珍しいから是非やってみたいという、この設計を粋に感じてくれる工務店をを探してくれるように頼みました。彼も神社仏閣の設計に〝粋〟を感じてやっている男ですから、云いたいことは痛いほど分かってくれています。しばらく時間をかけて考えてくれることになりました。

遷宮の思いで  (四)

社務所

大正八年に建てられた社務所兼宿舎をはじめあらゆる建物がシロアリの被害と老朽化して改修不可能な状態でした。
しばらく参集殿を社務所とお札所として使っていましたが、そのうち畳ごと床が落ちてしまいました。御神殿の御造営が目標で奉職したのですが、それ以前に日常の業務にも支障を来す有り様で、問題が山積しており御遷宮の計画を立てるような状態ではありませんでした。中には御造営に積極的でない向きも有り、ご造営自体ができない懸念さえ感じられる状態も度々有りました。
しかし、位の高い神様を祀っているので必ず宮司が常駐することを守ってきたこのお宮、これを守る為には戦前それも明治生まれの自分たちが生きているうちに、建て替えないと神社がなくなってしまうと言う、ぶれない思いを前宮司をはじめ責任役員(古老)がもって居られました。それは大和心といわれるものであり、現代日本人が戦後失い続けてきた日本精神の表れと感じられました。
古老方のその崇高無私な心情に私(宮司)も妻も打たれ、肚を据え万難を排して御造営を行うと御神霊にお誓い致しました。親族をはじめ相談する人々からはことごとく御遷宮は無理のようだから、家族のことを考えて早めに諦めるように忠告されました。それがちょうど赴任して三年目の時でした。
潮目が変わったのでしょうか本気で御造営に心を向けて協力して下さる方が増える一方、おおしけに見舞われたような様で、それは神社運営の根幹を揺さぶり、個人的には私をはじめ役員方の家族等々に有りとあらゆる災難が続きます。その時にはこれが神からのお試しとは気づくこともありません。ただもがき続けるだけでした。

遷宮の思い出 (三)

   三顧の礼

 私が当宮に奉職した経緯は先代宮司木原邦雄先生、秋山、大穂、不破総代が私の奉務神社の宮司や私に対して三顧の礼のように、丁寧に足を運んでいただいたことが一番のきっかけでした。

 神主が神社を移動するのは、一般的な社会では会社を変わるのに相当します。各神社は個々に独立しています。それで一社一社が別の事業体なので、神社を変わることは転勤にはあたらず、業界、職種が同じところに再就職した事になります。
 その中で、私の為に奉務先の神社に挨拶とお願いと度々足を運んでいただいたのは、感激の極みでした。そして、そこまでして私を迎えていただく理由がありがたくも驚く内容でした。

髙宮八幡宮は那珂郡の惣産土として神格の高い神様を祀っているので、必ず神主を置くというのが古くからの約束事であり、それゆえ退職した神主や年金生活で余裕のある方に神主資格を取って頂いたりして、戦中戦後も必ず神主の常駐する神社として守られてきたそうです。
 そして、故木原宮司が奉職されてより高神様の居る神社という伝承を裏付けるかのように、霊験あらたかな事が続き、神主資格があるだけでなくきちんとした実務経験があり、強い信仰心のある神主でなくてはとても務まる神社でないと思われたそうです。
 さらに神主の給与さえ充分に支払えない中、本殿、拝殿、社務所、参集殿、神饌所すべての建物がシロアリの被害で修復不能な状況でありました。もちろん建物を建設する余裕など一切ない状態でした。木原宮司と戦前生まれ神社役員は自分たちが元気で居る今のうちに、遷宮事業を行わないと二度とできなくなると思われたそうです。それで是非とも責任を持ってそれをやってくれる神主を探していたので、無理を承知であなたに頼みたいと言われました。
 本当にありがたいお話で、恐縮の極みであり、人生の中で二度とこんな事は無いだろうと思い、ぜひに承ろうと思ったもののあまりにも現実離れした話でした。