◇春を迎える◇


「春を迎える」とは伸び栄える命を充足し、収穫を予感することです。お彼岸は先祖を偲び讃えると共に世の天下太平、五穀豊穣の祈りであり、生きている子孫の繁栄、無病息災をお約束する人として最も大切な営みです。日本人は季節の移り変わりを感じながら、日常の生活儀礼として、自分の命の元である親先祖を祀ることを一番に行ってまいりました。

私たちが魂の充足、心の安定、身体の調和を得る為には先祖への感謝の祈りが生活の根底に必要です。神を見失った人は生きることに深い不安と悲しみを感じてしまいます。安心安全な社会を創る為にいつの時代も心して行われてきたのが祖霊祭祀です。

昨今の社会情勢の中では、人々の不安を取り除く祈りが公私ともに必要です。
親先祖を祀ることによって私たちが先祖と共に安心させていただきます。そしてその安心の波動が自らを幸せにし、世の中を明るしていく一番のものです。
今の世の不安、人々の迷いを祓えるように、産土の大神の御神徳を伝えていただき、共にお祈りいたしましょう。神社や自宅の神棚や仏壇で、始めにいのちを頂き無事であることの感謝からお祈りをしましょう。

春の祖(みおやの)霊祭(たままつり)

3月21日  正午

神習う 人は此の世の 宝なり
人知らずとも 神これを知る

親孝行と彼岸祭


 「親孝行したい時に親は無し」、昔からよく聞かされた言葉です。親が子供に伝え、人生の先輩方が後輩に教え諭したものでしょう。人生の半ばを過ぎ仕事や家庭の務めも一段落付き、生活に余裕が出始めた頃、懐かしさや寂しさとともにやっと味わえる心持ちです。
 亡くなった親やご先祖にさせていただける親孝行が、日頃のお祈りと盆・正月・春秋の彼岸に行う慰霊供養の祭祀です。
慰霊供養の日は懐かしい故人を偲びつつ、家の歴史や誇りを語り伝えるときです。家のお祀りを中心として、またその村や地域毎に日を同じくして町内の各行事や墓所の清掃の協力をしてきました。こうして地域の文化や伝統を継承してきました。

そして、慰霊供養を受けた先祖の喜びが、この世の幸(五穀豊穣・自然災害や争いのない平安)として子孫やその地域に返って来ると信じられ、先祖に心を合わせる祭祀を怠ることなく続けてきました。神や先祖を祀ることは古来からの日本の道であり、命や命の元を大切にすること=親孝行の道であり、日本民族が最も大切にしてきたことです。(皇室の神事優先)

 世々の祖 御霊供養の 有り難さ 
  その喜びは 身の幸となる

 御霊祭り こよなき事ぞ この家の
  栄ゆる基 病なきもと

 御霊等の 供養大切 己が家の
  固めの石を 日々つくなり

 ○ 秋の祖霊祭 9月22日 正午 ○

永代供養とは?


ご主人と奥様とご子息2人と犬1匹の家族全員が妙な感じで調子が悪くいろいろなことが続くからとお祓いの依頼があり、相談を受けることになりました。
奥様にお話を聞いていますとご先祖の慰霊供養に問題が有るように思えるのですが、ご本人をはじめご家族は何も気付かず思い当たることも無いようです。それでも、何か変わったことは無かったですかと再三尋ねますと、昨年の夏に実家の永代供養をある宗派の本山でされていました。奥様の実家は姉と自分の二人姉妹ですから跡取りがおらず、お父様が亡くなられたおり母親の希望で永代供養にされました。考えるとそれ以来おかしなことが続いていると言い出されました。
そしてよくよく伺っていると、

家の宗旨と永代供養している本山の宗旨が違うということ
その本山が遠いのでお墓参りはそれ以来行けず、今後も行く予定は無い
永代供養した折りに仏壇もお位牌も処分して無い

ということでした。ご本人たちは悪気は無く知らないこととは言え、ご先祖が気の毒になって参りました。

永代供養をしたからと言って、子孫が居るのにもう二度と手を合わせることも無いなんてことは、先祖に対して非礼極まりなく、先祖を無縁仏扱いにしていることになります。家の宗旨を変えたい場合はご先祖に充分にお断りして行います。まず最低百日間は幽世の神と産土の神をはじめ今の宗旨のご本尊にお願いし、合わせて真心を尽くしてご先祖にも納得してもらうべきです。昔から家を守るとは、家業を継ぎ、祖霊祭祀を嗣ぎ、ご先祖様の志と家名を守ることです。そこには並々ならぬご先祖の思いがあります。軽はずみな思いつきで行うと大変危険なことになります。

この方はお墓も用意されていなかったようです。近頃は遺骨を納骨せずに家の仏壇に置いていたり、置物にして家に飾ったり、アクセサリーにして身に付けることもあるようですが、お骨はお墓に埋葬することがとても大切なことです。
この先祖祭祀を一切やめてしまう、勝手な宗旨替えをする(家や先祖を否定したり、誤った信仰に入る)、納骨しない、この三つのことは病気をはじめ家運衰退にいたる様々なトラブルの原因になりますので本当に要注意です。

永代供養という言葉の響きは良いのですが、人の先祖を日々に、また月命日に、年忌毎にどれ程手厚く供養して下さるのか知りえません。実際は永代供養という法要を一回して、その後はその他大勢様ということではないでしょうか?
ご先祖もご自分の子孫がおられる限りは、子孫からの真心こもった慰霊供養をしてもらいたいはずです。
それらの間違い勘違いを説明し、先祖が喜ばないことをして、子孫だけが良いはずが無いことを話しました。とにかくご自分で実家の慰霊供養をする気持ちになって戴けたので、仏壇位牌が無くとも宗教や宗派を問わずに出来るお祈りをお教え致しました。

それから一週間後お礼参りにこられ、お祓いを受けた次の日の朝に、ご主人は腎臓結石の痛みが続き手術を受ける予定でいたのですが朝のトイレで結石が出たようで、それ以来痛みが消えてしまった。さらに、入院中の愛犬は血小板の異常で全身の皮膚から出血していたのですが、その日の夕方には急に数値が良くなり取り敢えず退院し、寝たっきりだったのが、五日後に神社にお参りに出かける時には立ち上がって尻尾を振り出した。また、ご自身も続いていた、頭痛と咳が取れてしまったそうです。

ご当人はそれらの起きたことが本当に不思議なことだとおっしゃいます。それは、神様、仏様、ご先祖様の実在に気付き本当の幸せに至るチャンスを頂いたのです。神様の導きを受けお蔭を頂いたことへの心からの感謝の気持ちや、神仏と先祖の御霊の実在に対する実感と畏敬の念を持つきっかけとしていただき、どうかこのチャンスを大切にして欲しいと祈っています。

( まずご先祖をきちんと祀ることを行って、必要あらば永代供養を考えて下さい。)

その祈りが深く神霊や御霊に届けば


国や地域の為に命を落とした方には手厚く慰霊を行い、国や地域の守り神となっていただくように真摯な祈りを捧げてきました。また、戦乱であれば敵味方の区別無く、恨みや憎しみを去って、同じく守り神となっていただくように祀りました。
その祈りが深く神霊や御霊に届けば国家規模の災害や諸問題も、未然に防げたり良い方に収まるものと信じて、仇おろそかにすること無く祭祀を続けてきました。

〈明治天皇御製〉

わがくには神のすゑなり神まつる
昔のてぶりわするなよゆめ

とこしへに國まもります天地の
神のまつりをおろそかにすな

國のためいのちをすてしもののふの
霊や鏡にいまうつるらむ

國のためかばねさらししますらをの
たままつるべき時もちかずきぬ

《天皇皇后両陛下には靖国神社へのお参りを是非していただきたいと願うものです》
(このことを政争の具にするような誠なき者が、この国を穢しています。)

盆踊りや精霊流しは慰霊鎮魂の祭祀を地域で行った名残です。しかし、今は祭祀でなく娯楽や集客のイベントであり、本来の精神性を失い何よりも大事な、御霊を鎮めることは忘れ去られています。御霊が鎮まっていないことは、知らず知らずの内に人心や秩序の乱れを招き、社会に大きな不安や不幸、疫病、災害をもたらします。

今、日本人は昔と比べようも出来ない程、神仏先祖と隔絶してしまいました。それは個人の精神的な問題などと言う些細なことでなく、社会の秩序や自然の運行(霊妙極まりないムスビの働き)に関わる大問題なのです。それに気付かずにいることが、どれ程危険な状態か想像することはたやすいことです。この世の秩序が乱れると言うことは神様と人との繋がりが弱まり、人が神を見失ったということです。人が神を見失い、先祖との絆を断っては、人はまともに生きていけないと日本人は肝に銘じてきたはずでした。

自然即ち神なりとする神国日本です。口蹄疫、新燃岳噴火、鳥インフルエンザ、東日本大震災、台風水害など…。これらのことを私たちはどう考えるべきでしょうか?。

人は動植物の命を食べ物として頂かなくては生きていけません。日本人は食用にした動植物(命)に畏れと感謝の念を持って慰霊供養を行いました。しかし、今は毎日大量の食べ物が捨てられています。住まう家を始めあらゆる道具にも、その背後に命や神の存在を感じ畏敬と感謝を持ってお祓いやお清めをしたり、お供えをしていました。今、私たちは神(自然)に生かされている慎みを失ってしまいました。自然や生命を自分の利益の為の道具としか考えていません。

これでは神様やご先祖様のお怒りや警告を受けるのも致し方ないことです。神様とご先祖に自らの過ぎ来し方をはじめ、人類の身勝手な行いを省み、世の平安をお祈りしなくてはなりません。

この祈り(ささやかながら、己を捨てて人の為に行う行為)が皆様から多くの人に広がりゆくなら、やがて君民一体の祈りとして天つ神国つ神がお聞きになります。そして、世の中に大きな奇瑞・御蔭が現れ、人心が改まり明るい世が現れることになります。

日本が神国たる所以は国民が天壌無窮のご神勅を戴く神国の民として、明るい世の出現を確信してお祈りするところにあります。そして、世界平和の基は和の国の神話から始まります。

産土の神と先祖供養(慰霊鎮魂)


 産土神は治める土地の住人だけでなく、人々のご先祖を導いてくれる幽世の神でもあります。
産土の神は亡くなったばかりの御霊を手取り足取り指導してくださり、浄化して輝ける御霊になり神様にお仕えする状態までの導きをして下さるのです。それが人を我が子としてお導きいただく親神と言われる所以です。

 現代人は忘れていますが、先祖供養(鎮魂慰霊)はまず先に産土神にご先祖のことをお願いすることが第一です。それで幽世とのウケヒ(霊線が繋がる)ができます。
 その後、ご自分の家のご本尊にお願いします。これは幽世の定めで、人は産土神の導きがあって御霊を鎮めることが出来ます。
 寺院でも高野山は丹生都比賣神社、比叡山延暦寺は日吉大社など本山と呼ばれる古い寺院では、土地の神すなわち産土様の許しを得てそこで仏の教えを説いているのです。

 死後の霊魂の状態は本人が生前どんな考えや暮らしをしていたのか、その心持ちはどうだったのか?ということに関わっています。常にも感謝と喜びを持ち、思いやりがあり親切で、誰からも好かれ、陽気で自分自身で悔い無く生きておられた。ご先祖が皆そうであれば良いのでしょうが・・・。

 ご先祖があの世で幸せにしておられれば、いわゆる因縁良く、子孫は順風満帆の人生を送れるはずです。家庭であれ仕事であれ体調であれ自然にうまく運ぶようになります。ご先祖が不幸せな状態であれば、子孫は何事にも思い通りにならなかったり、不幸が続いたりするものです。

 たとえば、ご先祖が生きてるとするなら危篤状態や溺れかかっている状態とします。ご先祖は苦しさのあまり救いを求めて藁をもすがる思いで子孫に頼ってきます。その折、子孫はご先祖の想いと波動を受けますので、とても子孫だけが安穏と暮らしては行けません。

 思いもよらぬ不幸や災難に見舞われるご家庭では、神仏先祖のことにご無沙汰していたり、先祖祭祀に問題があることが多いものです。ご先祖の不幸せな境遇から来る想いや波動は、子孫に不幸災難、病気怪我をもたらします。そのことは先祖から子孫に対する救われたい為の祭祀要求の知らせなのです。

 先祖からのお知らせは本人やその家族、関係者に起こり、気付かずにいると気付くまで繰り返されることがよくあります。まず精神状態に影響が出ますが、そこで気付かずにいると肉体に現れ体調不良や病気、また人間関係から来るトラブルなどに巻き込まれたりします。それで現象として形に現れる前に早く気がつくことが出来るように心がけます。そのためには普段より、ご自分を始め家族や関係者の精神状態、顔つき、言動の微妙な変化を感じ取れるようしておきましょう。回りの出来事に対して単なる偶然と思わず、感性豊かに気付くことが大切になります。
 そして、常日頃から神仏先祖を充分にお祀りすることが何より大切なことです。

 先祖のお祭りはきちんと欠かさずに行っていると思っている方も多くおられます。当然ご自分の先祖には何の問題も無いと思っておられるのです。しかし、この世の多くの刺激を受けて生きている私どもでさえ、考え方や感性を変えるというのはなかなか至難なことです。ましては亡くなった方が変わるには、子孫が神仏に真剣に時間をかけてお願いするしかありません。まず自分のご先祖が生前の苦しみから脱し、穏やかで清らかな御霊となっていただき、さらに輝ける神格を持つ御霊となっていただくようお祈りを続けます。実に慰霊鎮魂の祭祀は家の幸不幸、病、災難、栄枯盛衰に関わる重大事なのです。

 この「親の因果が子に報う」と言われる、因果の法則は個人や家にとどまらず、地域、国、民族にも影響します。それで地域やひいては国においても重要な行事として行われてきました。春秋の彼岸やお盆などはその地域の各家庭で皆が一斉に先祖供養します。それは各家の霊魂の状態が各家庭にとどまらず、その地域全体の幸不幸(災禍厄難・豊作不作)に関わると考えられたからです。