「大祓」

昨年発表された陛下のお言葉の中に「天皇として大切な国民を思い、国民の為に祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛を持って、成し得たことは、幸せなことでした。」とありました。
そのお言葉を承け、日本人として日本に生まれたことの有り難さを感じることが出来ました。歴代陛下の祈りが日本国の歴史と共にあります。神事を尊び祈りを捧げる様は日本国の営みの核心です。日本を「和の国・神国」とし、日本の国に流れる「君民一体」という思いの源です。

国民は陛下の祈りに応えていかなければ、それでこそ和の国・神国と言うことが言えるのであり、天壌無窮の神勅が担保される所以です。

ご家族と国の大祓が為されるようお祈り下さい。この祈りが御世代わりを支え次の御世へと継承されていくのです。
当社では月次祭などの祭祀の厳修と共に大祓を日々数十回唱えてご皇室国家を始め氏子地区の平安をお祈りしております。

◎ お祈りの作法等は崇敬会でお教えしております。

神道  日本人の生きる道(九)  ー質疑応答編2ー

私の個人的な疑問で皆さんにも聞いて頂きたい事をお話します。

◎ 至霊・直霊を「頂いている」「賜っている」と言いますが、そうするとそれは自分とはまた別の存在で、自分自身とは言えないと いうことでしょうか?

決して別の存在というものではありません。本当の自分自身、本来の自分なのです。不可視の霊魂のことは頭で如何に考えても決して分かるものではありません。
一霊(直霊)と四魂、肉体とは普段、ピッタリと別れ難く結びついて一体化しており、そのため、一般人にはどれが直霊、どれが四魂、どれが魄(はく)などと、分けて解することは不可能ですが、霊學の修行者にはこれがハッキリと分かる ものです。

◎ 幽の祓いと、我が霊・我が体、の話は違う次元の話でしょうか?
幽の祓いを受けて祓われるという事と、「他神ありてこれを護るにあらず」という事は矛盾するのではないかと疑問に思いました。

事の大小といった、違う次元の話ですね。なにも矛盾しないと思います。誰でも子供の時、「自分のことは自分でしなさい」と親から教わります。ところが、自分でもどうにもならない、己れの身に余ることが起きた時には、親に助けてもらったりするものです。

世間の人は神や佛というものは「外にのみある」と錯覚し、かたくなに思い込んでおり、己(おのれ)の身の内に生まれ乍らに神授の霊魂(産霊神の分け霊)が宿っているということを全く知りません。
だから、外に守護霊や守護神が居るなどと思い込み、そしてそうした ものが自分たちを守っているのだとスッカリ錯覚しているのです。まったくもって無知の極にあるというべきでしょう。

私たちは誰であっても「神の子である」ということをしっかり自覚し、もっと「自分の尊さ」に目覚めて、どこまでも己を大切にし、巷のおかしな宗教などに騙(だま)されないように、穢(けが)されないように十分注意して、自分自身を大切に、大切にして戴きたいと切に願います。

人は皆、自分の判断や考え、自分の意志で日々に自分の肉体を動かし、また、人生を営んでいるのではないですか?どなたも自分自身に問うてみて欲しいのですが、あなたは毎日、守護霊や守護神、 背後霊の言葉や命令でその通りに動いているのでしょうか?
だとすれば、あなたは人として何の尊厳も誇りも無い、単なる霊的奴隷というか、人間ロボットにすぎないのですネ?そんな生き方のいったいどこに、「人間的な成長」があると いうのでしょうか?
私たち人間は他人やある何者かの指示を受けて生きるべきでは ありません。お釈迦様が無くなられる時、アーナンダに「自灯明、法灯明」と教えられました。それは「自らを拠り所とせよ」「自分自身が頼りなんですよ!」ということなのです。
私たちはどんなに苦しくとも、それに負けないで、苦心惨澹(さんたん)しながら自己の創意工夫と不断の努力によって、なにごとも「苦労の花を咲かせる」ところに喜びもまた一入(ひとしお)のものが あるのであり、神はどこまでも人間に「努力することの尊さ」を教えられるものです。
上記の質問の意味が判然と致しませんが、私たちは普段、自分こそが一番頼りなのです。「己れを信じて」生きることです。自分の本体は神なのですから、いつも自分自身(自己の神)が自分を守っているのです。記紀の「大己貴命の國作り」条、「大己貴命の幸魂・奇魂との邂逅」(我れあるによりての故に…)の段をよくよく味わい、正しく理解して戴きたいですネ。

そしてもしも、自分自身(肉体と霊魂)が穢れた時には、本来の自分自身(直霊)の親神でもあり、霊魂の故郷 ( ふるさと ) である神界からの神気に触れ、魂を祓い清めて戴くのです。「魂の汚れ」 (穢れ)というものは単なる祓いでは清まりません。しかし、鎮魂力のある人が祓えば、必ず祓われます。

具体的には鎮魂法や帰神術によって正神界の神気によって穢れの一切を祓って戴くのです。一体、その何処に矛盾がありましょうか?(渡辺)

◎ 天照大御神の天岩戸隠れの神話で、天宇受賣命が神懸かり された事が記されていますが、それはつまり独りで神懸かりなさった という事ですか?
また、その際「お懸かりになった神様」はなんという神様であられたのでしょうか。というものです。

「神懸り」(帰神術)というものは神界から神霊を招き呼び、神と直接して神教を戴くことです。
そもそも「神に神が懸る」というのはおかしな話とは思いませんか。『古事記』に書かれている「神懸り」という文字は、神霊をお迎えする時にはこのようにするのだ…という古代人の習俗が示されているのであり、強いて言うならば、「八百万の神々の総意」を天宇受賣命が神懸り状態(意識の変容状態)に入って天照大御神にお伝えしたというわけです。それによって、天照大御神が天石屋戸からご出御になられたのですから、神懸りは大成功であったわけで、この場合、決して「天宇受賣命に何々の神が憑った…」などというものではありません。
そうした神話の読み方では我が国の古典は永遠に分からなくなります。

この『古事記』(天石屋戸条)は神意を冒涜したら、いかに恐ろしい結果を招来するかということ、「神律の厳しさ」が説かれているのです。

今、世間に五万と出回っている『古事記』に関する多くの解説書は、それぞれ個々人の勝手な解釈ばかりであり、『古事記』を何にも分からない者たちが書いているのですから、例えそれらの書を読んでも『古事記』が語る真実は決して分かりません。

『古事記』は当時の諸豪族たちが有していた帝紀や本辭を太安万侶卿が神懸りによっていちいち神界に質して、正しいもののみを一本にリンクしてまとめあげた書物なのですから、神懸りや霊學に精通しない者たちの、ただ単に言葉だけの解釈、字訓だけの理解では、その真意を読み誤りましょう。

『古事記』は宇宙の成り立ちや生命の神秘、クニの形成、神律といったものが説かれており、また、貴重な預言の書でもあるのですが、その密意や尊さが分かる者はおりません。(渡辺)

ケガレ・祓へ・潔斎 2

今までは身体的な祓いについて書いておりますが、精神感応するケガレがありこれはとても厄介です。落ち込んだり、寂しくなったり、イライラしたり、怒りがこみ上げてきたり、卑しくなってものが食べたい飲みたいとか、その極みは死にたくなったりすることもあります。この場合は外部からの何らかの影響でこうなったとは気づきませんので、そのままやり過ごすことになります。
おかしいと気がつけばそんな折は取り敢えず御行(お祈り)をすることです。何時もお祈りしている方なら、お祈りの精神状態の違いを感じて自分の感情でないことを知ることが出来ます。そして、そのような気分になる前に話した人や起こったことなどを思い浮かべて行くと、関係があるところで何らかの反応があります。精神感応した対象が判明すると急に自分の心境が正常に戻っていき、これが原因だったと確信できます。今までが嘘のように気持ちが変わりますので祓った人も祓われた人も共に感じるものです。

祈願では祓戸大神にお願いするのですが神主の気とそこに降臨する神気によって祓われます。神気を降臨する能力を鎮魂力と言い、人の魂の働きによって神様(神気)をお呼びすることが出来のです。その魂の働きを強める為に禊ぎ潔斎と言われるお祓いが重要視されます。
※古事記の三貴子(天照大御神・月読命・須佐之男命)の出現は禊ぎの最終で行われており、最も尊い神が禊ぎで最も清まった極みに出現されています。人の神性顕現は清めに清まって起こることを伝えており、人生の意義が語られているとされています。人は神の子孫であり、神と同質の直日という御魂を授けられているとする。〈古神道の口伝〉

また同時に祓詞や大祓詞祝詞の言霊の力、それと太鼓や鈴、拍手などの音霊の作用もあります。
ご自分で祈っても同じように祓われるのですが、自分では穢れと同期しているので取れにくいことがあり、人から祓ってもらう方が効果的なことが多いものです。
それと気分転化をするとその瞬間に落ちるようにケガレが取れることがあります。それは同調してチャンネルがあっていたのが切り替わるような感じです。また眠りや精神統一も同じように瞬時に変わることがあります。
とりわけ鎮魂と言われる神道の深い統一状態においてはその変わり様は驚くほどです。
このケガレは人の想念から作り出され、積み重なり同質の物が集合を繰り返し、巨大になっていくとされています。そして家のケガレとして先祖から子孫に継承されたり、土地のケガレとして残っていったり、組織や団体に関わって存在するもの、また国家と言う単位でもケガレとされるものがあるとしています。このケガレが溜まると個人レベルでは病気、事故、争い事や様々な不幸な事が起こるとされています。その原因がケガレというわけです。
大きく国家や社会レベルではケガレの蓄積によって気象異常天変地異が起こり、世が乱れて紛争が絶えないことになるとされています。古来の大祓は国として平安である為に天皇様から政治家官僚、国民の末々に至るまで祓いをするとされてきたのです。今、日本の国の様を見れば、異常気象と地震や火山活動のいわゆる天変地異が続き、隣国の中国、韓国、北朝鮮などの紛争の火種の中に居り一触即発の一歩手前という感じです。
このような時の気象異常天変地異は神々=自然のケガレを祓おうと自浄作用であり、警告でもあります。
国家レベルの大祓には天皇様の祈りに心合わせる国民の祈りが必要になります。江戸から明治そして戦後とを比べると、人々はどれ程神仏先祖に対する崇敬心を失ったことでしょうか。家庭には氏神様、釜戸の神様、井戸の神様、ご先祖を祀り、辻々にも地の神様、お地蔵様、庚申様などを祀っていました。そして、何をしようとも、どこへ行こうともまず祈ることから始めておりました。
神々からこの世を任されているのが皇孫である天皇様であります。天皇様からこの世のことをお任せ頂いているのが総理大臣以下すべての国民というのが日本的な霊性から見る社会観です。
それゆえ、長(おさ)司人(つかさびと)と呼ばれる政治家、官僚、経営者らは無私につながる公正さを自他共に必要な事としてきました。天地神明に奉仕し、世間様に無私に奉仕する心根が神霊を動かす唯一の力です。人々に神霊を動かすほどの真心が求められている時であります。
「 天に代わって政道を正す」。残念ながら、もう時代劇でさえ聞かないフレーズです。
天に任して地に頼る、天地と共に生きて生かされる。随神の道は宇宙不変の法則に連なる真理の道。古来日本人はこの道に連ならんと祖霊を祀り、天地を祀ってきたのです。神社ブームを超えて真にかんながらの道の復興を願います。
「神道は祓へに始まり祓へに終わる」まずは自らのお祓いからですね。