高宮八幡宮社報  やまもも

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只心 心すめよと 祈れかし 心澄むこと これが信心

第3号 平成12年11月 発行

目次: 1.今年の秋まつり 2.十一月二十三日 新嘗祭 3.心のふるさと 4.異世代間交代 5.生きる幸せ  

今年の秋まつり

◎十月十四日「宮座」で準備をして、十五日の大祭は例年になく、盛大でした。
◎宮座も、天気にも恵まれ、例の餅搗きは参拝者も多く、多くの子供達がうれしそうに餅をついたり、 丸めたりしました。
◎翌日の大祭には、今年も小田部の毛利さんがご神田で耕作されたお供えの稲穂と白米を奉納され、 お嬢さん達が、神楽を舞はれました。
◎多くの崇敬者は勿論、今年は更に、地元各部門を代表される方々の参列がありました。 国会議員の山崎拓様も駆けつけて下さいまして、 氏子みんなでお仕えする祭となりました。
◎午後には、オカリーナ奏者として有名な日嘉まりこ様が、石笛と弥生笛の吹奏を奉納されました。 その荘厳な音色に、陪聴する人たち は皆深い感銘に打たれました。神様も幾千年振りにお聞きになった事でせう。 そして、森の中での演奏会も奉納して戴きました。
◎天気にも恵まれ、皆さんの心のこもった賑やかな祭でした。


十一月二十三日 新嘗祭
◎天皇陛下が神様に新穀を供えられ、神前でお召し上がりになる祭をご奉仕される日です。 勤労感謝の日などと訳の解らない日ではないのです。
◎伊勢神宮ではその前、十七日に、外宮に新穀を供える祭があります。神嘗祭
◎平たく申せば「いただきます」と言ってからお食事を始めるあの心です。お米を生育せしめられた神様、 お米に宿る生命力に対してお礼を申して居る訳です。


心のふるさと

 「古里は遠くにあって思うもの」と或る人が言いました。他郷に居る人にとっては故郷を偲ぶことで心を慰められるのですね。 そこには必ず鎮守の森があるからです。
 他郷に出ていなくとも、淋しい時、悲しい時、苦しい時、心の中にポッカリ穴があいた時に氏神様に詣でて、一人静かに拝む。 そしてしばし森の中に佇む時、心は休まるのです。
 今のように多くの人が、心の乾燥を感じ、若者達が変な宗教や薬に走ったりする時にこそ、鎮守の森に帰ってほしいのです。
 氏神様にぶつかっても、すぐには回答を戴けませんでせう。でも必ず反応があります。 神の反応を戴いた人が最近でも沢山居られることも事実です。
 神社では、誰でも神に、直接心を投げ付ける事ができるのです。人に気兼ねする事もないのです。そしてそこには自然の森で実は生命の気が満ちているのです。 こんな環境で、こんな事が出来るのは神社以外にはないのです。
 他の宗教では、ものものしい施設の中で、かならず宗教者の仲介が必要です。それでは、気おくれがあったり、 心の中がはっきり判らない人には、それを表明する事もできないのです。
 勿論当宮にも神職は何時でも居ます。お取つぎも致します。誰かに打ち明けたい人は、遠慮なく話して下さい。相談に乗りますし、 安心できる人に打ち明ける事は、心の悩み解消の方法でもあるのですから。
 氏神の境内には、幾代にも亙って祭って来た、祖先の跡が沢山残っているものです。
 或る時、拝殿のお掃除をしていましたら、もう中年を過ぎたと思われる人が入って来て、掲げてある絵馬を指さし、「あれは私の祖父の名前です」と、 なつかしそうに言いました。高齢者の名前を連ねた古い絵馬でした。久しぶりに故郷に帰って来ておじいさんに会えた思いでう。
 本殿のご神座の前には古いご神鏡が三面あり、その鏡の台の裏には、三つともそれぞれに字名と十数名の氏名が書いてあります。
氏子の人が字毎に奉納したのです。
   本殿の中には、特別のお掃除等の場合以外には神職でも入らないものです。ですから、これは誰も見ることも出来ないし、 今はもう忘れ去られているのですが、私はそこに当時の人達の奥ゆかしさと信仰心の強さを感じます。もう二百年近く経っている筈です。
 氏神様を祭る事で、人々は心安く暮らす事が出来たのです。氏神様に見守られて居る事を知って居たからです。
 毎朝の参拝を欠かさない人、一日や十五日には必ず参拝する人、月例祭には拝殿で参拝する人。更にはお掃除をして帰る人。これが心平安の姿です。
 日頃は神社等を忘れて居ても正月には三社参りで氏神に参る若者。これが日本人の姿です。


異世代間倫理

 近頃、「家」という考えはなくなり、家族という個人の集まりとなりました。地域共同体もなくなり、「近所」はご近所づきあいのない 赤の他人が住んでいる処となりました。「国」は国民意識のない個人の集合のようであります。
 心のあり様としては、先祖も子孫もいなくなっています。同じ目に見えぬ存在である、 神佛もすっかり抜け落ちているようであります。
 そして、それらを時間的に見て行くと、異世代間倫理というエコロジーの言葉にぶつかります。 それは、自然環境を壊し続け資源をとり尽くしたら、次の世代ではどうなるのだろうか、という危惧から出て来ています。
 ちょっと前までは、農家であれ商家であれ、先祖から受け継いだものを継承し、努力を重ね、工夫をこらして、子孫に継承させたものです。 それがうまく行かないと「ご先祖様に申し訳ない、あの世で会わす顔がない」となる。 異世代間倫理なんて小むつかしいことを西洋人から言われなくても、自然を神とし親として来た日本人は当然の事として来ました。
それは、環境問題に止まらず、人の踏むべき道であり、「天地に恥じぬ」という人の生き方でもありました。
 そのことは、今此処にいる自分個人の欲望だけを考えるという様なことは恥ずかしい事だとされた訳で、世代を超えた感覚と考えを持ってこそ、 一人前の人であるという事でした。
 その場所が神社であり、家の中の神棚です。洗面所で手や顔を洗い、神棚で心を洗う。これは忘れてはいけない大切な習慣です。 神は命の大元、永遠の生命の継続ですから、神の前では、先祖も自分も子孫も同じテーブルにつく。 その時間の在り方を神道では「中今」と言っています。
 過去も現在も未来も一つになった世界に《生かされている》訳です。

生きる夢

◎生命あるものは環境に適応するように変化して生きて来た。これを科学者は≪進化≫と言いますが、日本人は古代から≪修理固成≫とか≪生成化育≫とか言った。 そこには意志≪方向性≫があるから、どの人達もこれは神の働きだと理解しています。◎あなたは自分の身体の精密な構造や微妙な働きを、不思議なものだとは思いませんか。 ◎また動物や植物と共通するものもあり、そうしたものと助け合ったりして、わたしどもは生きています。こうした仕組みは驚くばかりですね◎多面誰でもいつまでも生きて居たいのですが、 それでは地球がパンクする。ですからあらゆる生物は自分を子孫に伝え、肉体は大地に帰って行く◎また、個体を循環させ乍らも、今在るものを在らしめて居る ◎これが≪生成化育≫の働きですが、お互いではそれを≪和合≫と言ったものです◎≪和合≫は神のお心ですからら、 自分も他の人も一緒に心を合わせて生きていくのが正しい生き方です◎そこにこそ心の安らぎも幸せも在る。これが本物です◎更に神様の世界にも分担があって、 直接私共を守護<生か>されるのが産土神<ウブスナの神、普通氏神>様です◎更に先祖も子孫も産土神の管理下にあるのです◎全国どこにも、鎮守の森があるのはこうした訳です。古代から祭ってきたのです。 

『やまもも』の誌名は、当宮の境内には『やまもも』の巨木が多く、神社の境内林としては特殊な林相をなして居ることに因みます。また、この実は健胃整腸の薬効もあります。


目次: 1.今年の秋まつり 2.十一月二十三日 新嘗祭 3.心のふるさと 4.異世代間交代 5.生きる幸せ