高宮八幡宮社報 やまもも
<発行>
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只心 心すめよと 祈れかし 心澄むこと これが信心
第2号 平成12年9月 発行
目次: 1.崇敬会 一年の回顧 2.鎮守の森 3.秋の大祭について 4.忘れたもの 5.自然に帰る夢
崇敬会 一年の回顧
此の九月で一年になります。会員の皆様は、曾て無い世情の荒廃からの復帰を祈ってきました。これが中心ですが、併せて自らの心の浄化も祈りました。
会員は五十名足らず、これですぐに結果が出ようとは思いませんが、じっとして居られない気持ちは、誰方もおなじでせう。こうした正しい思いの結果、
それを神明に捧げるのですから必ず大きな働きとなる筈です。
集団の心は良い方にも悪い方にも、大きな作用の力を持つのです。
この、自分以外の幸せを祈る行為、所謂「徳を積む」事はそれが神に通じるものであり、その思はやがて自分の幸福となって帰って来るものです。
とは申せ、現実の生活では色々妨げられて浄心を保つことはまことに困難です。ですから、毎月の祈願祭の後で洗心講座を開いて、お互いの研鑚に努めて参りました。
また、先祖の指導浄化を神に願う祭も春秋二回恒例行事として行いました。
このご先祖に感謝する思いはご先祖の喜びですから、ご先祖にとってはその浄化と共に、子孫に対する守護する思いが強まる筈です。
今は乱れの方が強いので、大きな事故ばかりか、天変地異され起こって居るのです。
こう考えて参りますと、み国の為にも、自分自身の為にも(自分のことをあまり考える事は、心の汚れに繋がりますが)同士の方を募ると共に、他の神社にも拡めて行きたい。
そして、この祈りの力をますます拡大して行き度いものと思います。
鎮守の森
太古から自然に繁茂して来て、その土地に合った色々の樹種が混在し、その侭現在に残されている林相は、各地に見られる鎮守の森だけである。
こには神様が居られるのでと村人達が大切に守って来たのである。と或る学者がラジオで語って居りましたが、こうも言って居ります。
それは風水害にも、地震にも、火災にも耐える力を持って居る。地震で社殿は壊れても森は厳然として残っている実例をいくつもみた、と。
当宮に参拝すると、何かしらすがすがしい気持になるし、祭に参加すると、本当に心が安らぐ、などの声をよく聞きます。とにかく素直に神前にぬかづき、
鈴の音や自らの拍手の音に耳を傾け、しばし瞑目すれば、あなたは、いつもと違った何かを感じるでせう。それは、小鳥の囀りか、虫のすだきか、風にそよぐ葉擦れの音かもしれません。
神を感じなくても、強い祈りの言葉を申さなくても、心は新鮮に帰る筈です。
勇み立つような賑やかな祭りもありますが、心の乾きを癒すのは、むしろ静かな鎮守の森であり、静かな祭りの中に浸ることです。
秋の大祭について
◎祭の準備の行事「宮座」。昔は氏子の人達が、毎年持ち回して当番の家で奉仕して居りましたが、今は姿は昔の侭に残して境内でしております。
◎独特の杵での餅つき。お供え物の「牛の舌餅」。同じく餅に小さな色紙の御幣を突き立てた「ごうず」などが珍しいものです。その餅が亀の形だからゴウズ。
◎大祭に新穀や沢山のお供えと一緒にそうしたものを差し上げて一年間の感謝を申し上げます。ですから、牛の舌餅もゴウズも氏子の真心の表現です。
◎祭の後で一同そろって、そのお供えを食する事が、実は本来の目的です。それは、新穀に宿った神霊のお力を頂く事で、心身の「新生」を戴く訳です。
◎宮座は毎年十月十三日、大祭は十五日ですが、最近は奉仕者や参拝者も集まり難くなったので土曜日と日曜日に改めることも必要かと、検討中です。
忘れたもの
近ごろは、目に見えないもの計測できないものは存在しないという前提で生活している。
そんなことになってしまったのは、ここ五十−百年ぐらいのこと。有史以来、人は神、精霊、霊魂(ご先祖)と密接な関係を続けてきた。
その関係は人の生活に必須のものと言うより、生活の中心であった筈。
あらゆる文化も人としぜんんと共にあって見え隠れする神との関係から始まった。その関係は自然観、人生観、社会観などの基底にあって、
人がどう生きるべきかという知恵の源であった。
文明は自然環境の中で人が生き抜く術(すべ)として発達してきた。自然は文明・社会の母であり、母なる自然を失った時、文明は滅んでいる。
明治の頃の文化人が神社の祠を開けて中を見ると石ころが置いてあった。そこで彼はこんなものを有り難がっている言うではいけないと、
そのご神体にしている石を捨てたという。当時の日本人が石やご神木、山川、海、森、土地などそのものを神として拝んでいたのであろうか。
石や木や山、海、川などを神として拝んでいたのではなく、そのものをとおして見えざる神を拝んでいたのである。何世紀にも生き抜いた巨木、
有史以前からある石や岩、命の水の源である山、日月、海、空、川にしても、その背後に並々ならぬ生命力や生命を支える力や多くの恵みをもたらす
力に対して畏敬や霊妙さや感謝を感じてのこと。
親を大切に兄弟仲良く仲間を大切に、とは昔から当然のこととしていたが、それさえままならぬ世の中。親は間違いなく命の元、命を生み育てくれた存在。
兄弟は親を同じくして、一緒に育った仲間。その命の元のさらなる元が神や自然であり、大空、大地という空間、空気、水、直接の親は全く違うけれども
同じ命を宿す兄弟たる動植物。われわれのご先祖はその理を当然のこととして、人の行う道としてきた。
そして、その親である神や自然から兄弟を食物として、生活資源として、生活の糧、恵として頂く。頂くということは感謝して大切にする。
決して粗末にしたり欲張って無駄にしないということ。この感性が自然と親密に共存しようとしてきた文化の特性である。
いただきます、ありがたい、もったいない、申し訳ない、畏れ多い、おかげさまで、とは何に対して言ってきたのであろうか。このような言葉を失いつつある世の中の、
息苦しいこと、殺伐として潤いのないこと、満たされず不安この上ない状。
近頃は、色々のメディアで二十一西紀に残したい風景、歌、方言などの特集を目にするが、他にもある忘れ物に気が付いてほしいと思っている。
自然に帰る夢
こんな夢をみました。現代は、余りに便利な物が多くなった為に、自然から遊離してしまって、心が荒廃し、今までに想像も出来なかった犯罪が簡単に?発生する。
それを防ぐ為の薬の瓶を持って電話機の前で、それをかけようかどうしようか、と私は悩んで居ます。その乳白色の液を噴霧器に振りかけると、
日本中に伝わって、誰もがもっと自然な心に立ち返るのです。一回はかけたので大分立ち直っている筈ですが、
もう一度かけると、効果が強くなって色々な利器を使う気持がなくなるかも知れない。
今の心の侭で、冷蔵庫、テレビ、洗濯機や自家用車、ファミコン、携帯電話、等々を捨てたら、一層淋しくなって、逆に心が枯れるのではないか。そう気が付いてこの薬をかけるべきかどうか悩む内に目が覚めました。
もともと日本人は心豊かで自然体を指向して生きた筈です。今お役人から警察、病院、飲食物の会社等の心の弛緩。果ては自分の子供まで殺す。
交通機関等の事故や天変地異の頻発でも多数の人の心の荒廃と無関係ではないのです。
それは、自分を客観的に見る事が出来ず、人間以上の存在を意識しなくなった事が最大の原因だと私は思います。
人間も自然界のほんの一部として生かされて居るのです。
もっと自然と共にというか、敬虔な感謝の思いとでも言うか、そんな姿勢がある筈です。文明の利器を使いながらも。
『やまもも』の誌名は、当宮の境内には『やまもも』の巨木が多く、神社の境内林としては特殊な林相をなして居ることに因みます。また、この実は健胃整腸の薬効もあります。
目次: 1.崇敬会 一年の回顧 2.鎮守の森 3.秋の大祭について 4.忘れたもの 5.自然に帰る夢