高宮八幡宮社報  やまもも


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只心 心すめよと 祈れかし 心澄むこと これが信心
 

第18号 平成15年7月 発行

◇ 夏祭り ◇


全国どこでも夏祭、これは本当にありがたいことです。当たり前だろうって言われるけれど四季の巡りがあるこの日本の国ならではのこと。
 半歳周期と言って日本では半年毎に同じ祭を繰り返す仕組みになっていると言われています。夏祭り・お盆は年越しの祭(正月)と対になっています。そして、春のお彼岸と秋のお彼岸など。

 祭りを行って四季折々自然と溶け合って暮らす、それを繰り返すことで歳を重ねていく、先祖伝来の生活です。
 そこには今も昔も変わらぬ、そして変わってはいけない人の生き方が伝わっているのです。自然と共存し未来を展望する知恵を伝えているのです。日々の些細なことに至るまでめんめんと受け継がれています。その生き方からはずれることを「恩知らず」「恥知らず」と言ってたしなめ、「天に唾する」「死んで先祖に合わす顔がない」といって誡めてきました。このことは忘れ、失ってはいけないことです。

 高宮八幡宮では今年も国と地域の発展と氏子崇敬者の健康を祈って人形の大祓を行います、半年間のケガレを神様にお祓いしていただきましょう。

 それから子供といっしょにお獅子を担ぎます。どうぞ、子供の手を引いてご参加下さい。祭にでる体験が子供たちのふるさとを創り、心の拠り所をもたらします。地域の一員であること、神様に見守られていることを体感してください。
 どこに移り住んでも子供の時の体験が一生涯の自分のふるさとを決めるのです。



心を深める 第10回


名誉宮司 木原邦雄

結び
 
 信仰者とは、自分が神と共に生きていることを実感できている姿です。先ず自分が神に守護されていることが判るからです。これほど嬉しいことはありません。
 これが本当の人生でないかと気付いて、心が一層深まる訓練を積み重ねて行く生活が神に応える人生だと思うのです。

 そこに達する方法を私なりに解説したつもりです、ほんの粗筋ですが。とは申せ総てが私の体得したものではありません。多くは教えられたものですが、私なりに納得できたものです。
 ご自分でまだ実践できてないことがあれば、そこから始めて下さい。やさしいことから一つずつでよいから始めて下さい。そのことを神様にお約束して行えば必ず嬉しい結果がでるはずです。
 世情は物心共に混乱しております、このことを見過ごしてはいけないのです。これを改める、微力であっても私どもは祈ることが出来るのです。国の、そして世界の幸せを本気で祈る者を神は待っておられる様に思います。ます各地域の守護神=産土の神また特に崇敬する神があればその神々に祈っていきましょう。

 それは一つの信仰の奥義を実践することに他なりません。「花を手折って人に与うるに、まず香り己が衣にみつる」と言う言葉がありますが、神に通じる誠を持って祈る者が居ればその人は先ず、自分の真心に包まれ神の御恵みをまず最初に受けるということであります。

 ご質問等があればご遠慮なくご連絡下さい。皆様方と共に世の幸せを祈ってまいりたく思っております。

◎ 高宮八幡宮では開運や悩み事の相談、生活のヒントになる講座から人生の諸問題を解決するための祈祷や行法なども指導いたしております。
 お越しの際は電話にてご予約下さい。



 『戦後思想』 克服のために 8
ー極まればまた蘇る道ありてー

            
        小柳陽太郎

   日本の心の命綱「憲法第一条」

 (前回のつづき)この「戦争がはじまった」「原爆が落ちた」と言う「敵」の主体を抜きにした発想は、戦後のすべてに共通するものですが、特に顕著なのが、戦後は、戦前の「天皇主権」の時代から、「国民主権」の時代になったというものの言い方、考え方です。それは最近特に問題になっている「国歌君が代」について、戦後の国民主権の時代に、天皇賛美の歌はそぐわないと反論する人が常に口にすることですが、一体それは本当なのか。たしかに憲法の前文に「主権が国民に存することを宣言し」という言葉はあります。しかしそれは占領下という異常な状況の中で、占領軍の手によって「入れさせられた」のであって、日本人が好んで、自らの意志で入れたのではない。
 そもそも主権が天皇にあるか国民にあるかと言う議論そのものが、日本の本来の国柄にそぐわないのです。だから戦前にも「天皇主権」と言う言葉はなかった。君民一体の政治理想を受け継いできた日本に、「主権」という概念を持ち込み、君民の間を裂いて、天皇から国民へという図式を持ち込んだのは他なら占領軍だった。その現実を見ようとしないで、戦後「天皇主権の世の中から、国民主権の時代になった」というのは、「原爆が落ちた」と全く同じ発想と言わねばなりません。 そんなことよりも、占領軍があれほど、日本人の思想を、哲学を破壊しようとしながらも、天皇を処罰せよ、天皇政治を廃止せよというソ連をはじめ多くの国々の意見を抑えて、憲法第一条に、天皇を国民統合の象徴として位置付けたことが、どんなに重要なことだったか、そのことに注目しなければいけません。

 それは単に時の流れで「そうなった」のではなかった。日本の必死の思いが「そうさせた」のです。もしここで天皇の存在を抜きにした憲法を押しつけるようなことをすれば、日本人は再び蹶起(けっき)するに違いない。そうすればアメリカはさらに百万の軍隊を動員しなければならなくなる。そういう国民の気迫が占領軍をして、天皇の地位を認める憲法を制定させたのです。日本人は占領下、すべては彼らのペースに巻き込まれたと申しましたが、ただ、こと天皇問題になった時には、そうではなかった。さすがに、日本の国柄の中核を手に触れようとする占領軍の動きには、当時の日本人は敏感に反応したのです。

 そういう意味で、この憲法第一条こそは「皇国の皇国たる所以」を天下に明らかにしたもの、長い歴史の中に培われてきた日本の精神伝統の最後の砦、命綱だと言ってもいい。この「憲法第一条」がある限り天皇という国民統合の象徴として仰ぐ方の万歳を唱え、「君が代は千代に八千代に」と天皇の御代が永久に続くことを祈ることはあまりにも当然のことと言わなければなりません。

 近頃は、天皇を軽んじる風潮に媚びて、「君が代」の「君」はあなたの意味で、「天皇」を指す言葉ではないなどといい加減なことを言う人が居ますが、とんでもない。日本最古の勅撰集(天皇のご命令で撰ばれた歌集)の「賀詞」の最初に掲げられた「君が代」、もっともここでは初句は「わがきみは」になっていますが、その「きみ」が天皇であることは当然のことでした。天皇の聖寿の永遠を願うことは、日本人としてあまりにも当然の国民感情でした。そこに「皇国の皇国たる所以」があったのです。
 日本人にとって天皇と国とは決して別々のものではなかった。それは全く同一のもの、それこそ、遠いいにしえから、天皇は国民統合の象徴だった。それをあの戦後のただならぬ時代に守り抜いて、憲法の第一条をこのような形で残し得たことに感謝することを忘れて、天皇主権の時代から国民主権の時代になったという言い方がいかに愚かな、ためにするものか、多言を要しないと思います。この場合は単に「敵」の存在を無視しているだけではない、戦後のあの苦しい時代に処して、日本の国柄を守り抜いた先輩の血のにじむような努力を無視した、許しがたい所業と言わなければなりません。



   
   鎮守の杜から   4

           宮司  古賀靖啓

 境内地の尊厳 (聖地として)

 近頃は境内地を清浄な聖なる空間と思っていない人が多いようです。
また、それとは別に当社に訪れてわざわざ「ここは清々しいですね」、「空気が違いますね」、「ヒンヤリとしますね」、「落ち着きます」、「頭の疲れがとれます」などと声を掛けていく人が居ます。この方達は意識はしてないものの、神気を感じ取りここが普通の場所と違うとなんとなく感じているのです。
 当社の境内地は聖地と言える状態を有り難いことに保たせていただいております。それで近くの公園や遊歩道のある山や林とは全く違う空間になっております。当社の境内地を清々しく感じる人がそのまま近くの森に行ってみればその違いを感じるはずです。
 昔はこのような場所を禁足地としてむやみに足を踏み入れないようにしておりました。入るときには必ず潔斎(お清め)しており、それがお籠もりの本義でした。
 神社として多くの参拝者が来るところでは、いわゆる結界が幾重にも置いてあり、より重要なところ(本殿廻り)には普段は入れないようになっております。御祈願をする拝殿も手水をしてお祓いしてから入るようになっております。
 普段考えもしないことなのかもしれませんが、神社の境内は他とは区別された特別の空間になっているものです。それを侵すことを忌むタブーが言い伝えられてきたのです。しかし最近では公園がわりに参拝もせずに散歩やハイキングで気安く立ち入る者や、犬の散歩でリードをはずして境内の内を遊ばせるなど場所をわきまえない勝手な振る舞いまで見受けられます。いやはや神罰が当たるなど思いも寄らぬ事、もはや神などいないと思っているのでしょうか。
 
 世界中の人々が大昔から神や先祖を祀ってきました。目に見ないものが本当に存在しないのなら、人はとっくの昔に目に見えないものを祀ることなどやめているはずです。
 現代は心の時代などと言っていますがそれは不安で心許ない時代のあらわれです。心も目に見えませんが、見えないから無いなどと言い切れる人はいないでしょう。
 今、なぜ心を病むのか。自分の命や人の命をなぜ粗末にするのでしょうか。心や命の本質は共に見えないものです。日本人は神仏・先祖というその見えざるものを祀って心穏やかに暮らしてきました。命の本質は魂であり、生も死も越えて生き通しの存在です。神も先祖も自分も同じものであります(見えざる処)。日本人には心を大切にし命を尊ぶ生き方がありました。そのことを日常生活の中、取り分け祭祀や地域の年中行事の中で体得して生きてきたのです。
 それは理屈ではなく魂でわかるものです。宇宙や自然やそこにある命、その本質はすべて見えざる魂の働きであります。これを一点に定めて祈りそこに表象されたもの、それが神社と呼ばれる場所なのです。

 産土の神とはその土地のすべての命を司っておられ、あらゆる命の営みを見守られています。私どもが神社にお参りするのは宇宙や自然や自らの命の根源に出合いふれるためだと言ってよいでしょう。



◇ おかげばなし ◇
 神徳記 3


 ◎ 天蓋御幣の不思議
 節分祭にお炊き上げする浄焔(護摩)の上には天蓋と呼ばれる紙で出来た御幣があります。紙の御幣は炎の勢いで舞い上がりますけれど、精神統一していると神霊のお力で不思議と燃え上がりません。
 最後まで御幣が燃え上がらずお炊き上げが出来たときは、その御幣は参拝者に配られます。これを持ち帰り、白紙に包みお守りにしたり、具合の悪いときには煎じて飲めば霊験あらたかなことこの上もないと言われています。

   1、 南区 栗崎さん 
二日間お腹を壊し、嘔吐と下痢が続いておりました。薬を飲んでも治まりません、それで三日目の朝方早くに神棚に納めておりました高宮八幡宮さまで頂いた御幣をお茶に浸して飲みました。そして一眠りすると妙にスッキリとしていましたのでそのまま仕事に行き、それっきり直ってしまいました。仕事の帰りにお礼にお参りさせていただきました。

   2、 博多区 櫻場さん
 名所旧跡詣りをして家に帰ってきてから体の様子がどうもおかしくなりました。その内、頭が痛くなり熱がでてきました、多分このままだと寝込む事になると思い、ユウツになっておりました。 高宮八幡さんの天蓋のことを思い出し、ものは試しとちぎって水と一緒に飲み込みました。あっという間に元通りになり、家の者は狐につままれたような顔をしておりました。


 ◎ 人形の霊験 南区 林田さん
 体がだるく自分の物ではないようなどうしようもない状態が続いておりました。大祓の申込にやっとの事で神社に伺い人形を預けまして帰り道、体も楽になり気分爽快になりました。
いつも神主さんには大変な物を置いて帰って本当に申し訳なく思いました。



   
○ 遷宮四百年記念事業 ○


 当宮は鎮座して千三百年以上、現在のTNCのテレビ塔一帯の高いところから今の場所に遷られて四百年になります。
 これを記念いたしまして、御造営事業を計画しました。

先ず、今年六月より祈祷殿・社務所の工事に着手いたします。その後境内の配置計画に準じ本殿・拝殿の御造営を行います。
 神社の伝統護持と日本の精神、文化の継承の為に百年の計を立てるべく総代世話人一同精進いたしております。皆様のご理解と暖かいご支援をお願いいたします。

 ご寄付は御社頭にて受付を致しております。
ご寄付いただいた方の御名前を後世に残せるように致します。
 ※(三万以上は記念碑に芳名記入、壱百万以上から石灯籠一基に芳名記入)。

◎ 御造営奉賛会は設立の準備中です。