高宮八幡宮社報  やまもも

<発行>
〒815-0083 福岡県福岡市南区高宮4丁目9-34番地
高宮八幡宮社務所
Tel/Fax:092(522)8435
http://members.tripod.co.jp/TakamiyaHachimangu/

只心 心すめよと 祈れかし 心澄むこと これが信心 

第13号 平成14年9月 発行

秋の祖霊祭      心を深める

鎮守の杜の自然観   極まればまた蘇る道ありて  御遷宮四百年記念事業

崇敬会の御案内   9月・10月の行事

  
◇◇秋の祖霊祭みおやのたままつり◇◇   9月23日

  古来より、彼岸にはご先祖に感謝を申し上げ、御祭を行ってきました。
  私たち日本人は命の元である親先祖を敬い(命の根源を尊び)命の元との繋がりを強く
 しっかりする ことが幸福(弥栄)に至る道として、先祖を大切にお祭りしてまいりました。

  日本の信仰とは命と命の元を大切にする生き方と言ってもよく、その命をそこに成り立た
 せている自然の中に神々の霊妙な働きを感じて生きて来ました。
  霊妙な見えざる存在の中でも、ご先祖は特別親しい間柄、先祖と子孫は響き合う関係。
 植物に喩えれば、見えている幹や枝葉は子孫であり、見えない先祖は根であります。根に
 水や栄養が無くては木は枯れてしまいます。
  悩み苦しむ先祖が居て子孫だけが平穏無事に暮らせるわけはありません。そして、ご先
 祖の喜びが子孫の幸せとなり、子孫の真心の祈りや善行が先祖の救いとなるのです。
  ご先祖にあの世で喜んでいただくには、ご先祖に命をつないでいただいた感謝と
神仏
 にご先祖のご加護をお願いする真心が必要
となります。
  家庭で仏式で行うにしてもまず、自分が先祖を供養するのでなく、先祖のこと(あの世の
 こと)は、幽世(かくりよ)の大神、産土(うぶすな)の大神にお願い申し上げ、次に仏菩薩に
 お願いいたします。

  当宮では所縁の御霊、護国の英霊を始めお申し込みの御霊の神式によるお祭りを行って
 おります。 宗派や当日参加の有無は問いません、格調高いお祭りをご先祖にお供え下さ
 い。

 

 
ページのはじめ へ


        心を深める 第5回
        名誉宮司 木原邦雄 

   明るい心を持つ

  心に光明があれば迷いも悩みも苦しみもないのです。病気さえ逃れます。それには笑顔を失わないことです。
  無口でないこともその一つです。それは、心が解放されているので人との和合もできるのです。さらに人の話は良く聞くことです。そのためには素直さが必要です。自分に対する批判は耳にしても、良く聞くことです。最後まで聞く事です。そして反省すべきことは素直に取り入れるのです。
  心が暗いと反発の心が起きてきて、相手を憎んだり恨んだりして、自分の方が苦しむ結果となり、相手との和合もできないのです。物事には両面あります。どんな苦しいときでも明るい方を一つでも見つけて喜ぶことです。ものを明るく見て常に喜び人も喜ばすことです。
  自然の中にいる生命体は、動物も植物も実に素晴らしく整った内容に作られています。この環境に合致するように完全にできています。ですから必要以上の争いもない苦しみもない筈ですが人間だけが、悩んだり苦しんだり、人を憎んだり等々、本来無いはずの不完全な実体を持っています。
  それは人間だけが考える力を持っているために、不自然な生き方考え方をするからでしょう。即ち色々な囚われを持ちます。それが心の暗闇を生み自然の姿である明るい光を失うことになるのではないかと私は思って居ます。

   話をする

 
 人は自分以外の人を救うために生きているのです。私共はそれを自覚して居なければなりません。それが神のお仕事でもあるのですから。
  ですから誰とでも話せることが必要です。人の悩みなどを解いてやらねばならぬのです。その為には人の心が判らなくてはなりません。人の心が判る為には、先ず自分の心がハッキリ判らねばなりません。心に色々の囚われがあっては判りません。ですから素直な心になる訓練が必要ですが、ここでは話についての訓練です。
  私共はとかく、自分の言いたいことの反対を言うことが多いのです。その人を良い方に向けようとしているのに口を出す時には、相手のことを思って発言するのではなく自分の立場で言ってしまう。それではだめです。
  実際にそう思っているのであればその通りに言うのが至当です、それが愛情です。
  それにはその人の心を見抜いて言わねばならないのです、相手の今までの生活状態を見抜いて言わねばなりません。
  そしてどんなに説いて救うかです、直すのではないのです。救うとは、自分の心を直すために話すという態度が必要です。自分の心が直るに従って相手の人の心も整うのです。

  自分が相手を救うのでなく、相手が救われるように神に祈り願うのです。神にお願いしたなら、囚われのない心で神にお任せしてお話しさせていただく。神と一緒に話す、自分の口を通じて神が話されるという気持ちです。自分が話すとか救うとか直すなどと言う思いがあっては話が間違ってきます。自分も神のお手伝いをさせていただき直していただくのです。
  話は聞いてもらうという素直な気持ちで行います。話を聞かせようとか説得する必要はありません、ましてや相手を感心させたい等の欲をもって話してはいけないのです。
  強く自分の意志を持ってはいけません。相手の人の気持ちにならねばなりません、相手の気持ちにとけ込んでいきます。後は神が話してくださるのです。
  大事なことは、私共は神と和合して常に神と繋がっていることです。それは無の心境で話をするのです。人を直すなどと言う気持ちは慎むことです。
  この世の全ての現象は心の在り方に拠ります、人の気持ちは人の運命を変えます。集団の意志はその集団の運命を作っていくものです。私共は自らの心を神に向けることに拠って少しでも立派な人とならせていただき、人のために生きていくことができるのです。

 

                                                  

ページのはじめ へ





  
鎮守の杜の自然観 第5回

    人は神の子
 
  古来より日本人は、神と人は親子関係の延長上にあると考えています。
  人の生活の場であり生活を支える豊かな自然は、神の現れであるとしてきました。小石  一つにも草木一本にも神は宿るし、神の存在を示す尊厳があると感じてきました。
  私たちのご先祖は、神は私たちに命を与え、生きる場所を食べ物を与えくれている。それは命を育てる、命を守る働きだから、生き物の世界で言えば親である。私たちは神の情愛の中で生かされており、神のご恩を受けている身である。このように感じていました。

  そして、人は神から魂を分かち与えてもらい、この世に産まれてくると信じられており、人は神の分け魂を持つとされているのです。
  ヒトのその文字の持つ意味はヒ=霊(神)、ト=止める、という意味であるとします。つまり、人とはこの世にあって神の霊性を止めている存在と言うことなのです。これは人だけのことで、他の動植物にはないことです。それゆえに人を万物の霊長(タマオサ)とするのです。

    産土の神

  私たちの生活はすべて自然の恵みによって行われております。住まう土地、飲み水、食物、生活用品、建設材料、空気に至るまで何一つ自然の恵みでない物はありません。
  産土の神はその土地にあるすべての命を生み出し、育て司る神です。それは、その土地にあるすべての命(自然の営み)を支えるのが産土の神の働き(御神徳)であると言えます。
  この神を私たちの命の大元、親先祖を命の元として敬い感謝してまいりました。私たちの命の大元であり親でもある神様の居られるところが鎮守の杜なのです。

    祭と年中行事

 
 神様と人の関係が日本人の物の考え方、感性、生き方、価値観に大きな影響を与えてきました。それを私たちはあまり意識せずに親から子に伝えてきているのです。その生き方を神随(かんながら)と呼んでいました。
  日本人の古来からの価値観をよく伝えているのが祭であり年中行事です。ここには見ざるものに畏敬を感じる心、物事に素直に感謝すること、命の大切さ、人としてどう生きるべきかなどのことが、親や先輩の背中を通して伝わり学べるようになっていました。家族や地域の共同体の一人として自ずから身に付けて行くようになっていました。
  この価値観を破る行為をすることを、「天に唾する・恥知らず・罰当たり・死んで親に合わせる顔がない・人でなし」と言って誡めてきました。


                                           ページのはじめ
                                             






極まればまた蘇る道ありて

〜 『戦後思想』 克服のために 3 〜

小柳陽太郎


  夷狄いてきにくむべき所以 

 例えば、その中の「夷狄の悪むべき所以」ということを考えてみましょう。今、私たちが大切なこととして教えられている「日本国憲法」、その前文に次のような言葉がある。
 日本国民は……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
 そこに書かれていることは、われわれは自分たちを取り巻いている国々すべてが平和を愛し、公正と信義をもって行動することを信じて、われわれ日本の「安全と生存」を、すべてその国々の人にお任せすることとした、というのです。そこから、日本国憲法はスタートした。だから第九条では「戦争の放棄」、これから一切戦争はしないと明記し、従って「軍備」も「交戦権」も認めないというのです。
 しかし誰が考えても、日本を取り巻く国々が、すべて平和を愛し、公正と信義に基づいて行動するなどという、そんな馬鹿なことがあるはずはない。それなのに、それらの「諸国民」に日本の安全と生存を託するとは、到底常識では考えられないことでしょう。それが堂々と憲法としてまかり通っている。一体これはどう考えたらいいのか。もちろん、外国に対して最初から不信感をもって接するべきではなく、当然、相手の善意に対してはそれなりに温かく接するべきでしょうが、ただそれぞれの国は実のところ一体何を考えているのか分からない。言うまでもないことながら一つの国に対して自らの利益を度外視して相手の国のために尽くすということなど期待すべくもないのが、国際関係の厳しい現実であることは常識だと言っていいでしょう。その現実を無視して、それらの国々に、自分の安全、生存を任せるという、こんなでたらめなことが一体あり得るのか。最初に現在の日本は「国としての体」をなしてない申し上げたのはそういうことなのです。こんな憲法を持った国民は世界広しといえども、歴史上かってなかった。もちろんこのことをこのままにしておいていいのかという議論が最近特に大きく取り上げられていますが、それでも「憲法改正」と言うことに対してはいまだごうごうたる非難があるのは皆さまご存知のとおりです。

  「夷狄の悪むべき所以」という箇所を読むと、すぐ思い出すことがあります。実はその時から九十年、一九四五年、昭和二十年に日本はついに大東亜戦争で敗れたのですが、その半月あと、九月二日に東京湾に浮かぶアメリカの戦艦ミズリーの艦上において降伏文書調印の儀式が行われました。それは日本にとって一番屈辱的な日でしたが、私がすぐ思い出すというのはその調印式が行われた軍艦の甲板に枠に収めて置かれたアメリカの国旗(星条旗)なのです。その星条旗とは何か。それは実は九十年前にペリーが日本に来た時、その軍艦に掲げられていた星条旗だったのです。その国旗を何故ここに持ってきたのか、それはペリーの願っていたことがついにここに実現した、その喜びの表現だったのです。ではペリーの念願したものとは何か。それはアメリカという文明国が野蛮極まる日本という国に鎖国の夢を破って、新たな文明をもたらすことでした。つねに自分を文明国として他を見下し、その野蛮な国々を啓蒙し、恩恵を施してやるというのがアメリカが建国以来いだき続けてきた「正義」なのですが、自分たちは、その「正義」をこの日本において実現することができた。その喜びと、アメリカが果たしてきた役割を内外に誇示するために、九十年前のペリーの旗をここに掲げたのです。もちろん日本がアメリカと仲良くすることは結構です。しかし自分が上に立って日本を導くのだという傲慢は許せません。その思い上がり、それを松陰先生は正確に見破っていたのです。「夷狄の悪むべき所以」とはそういう意味でした。しかし今なお現代の人にはそれが全く分かっていない。それどころかテレビなどでよく見られる光景ですが、浦賀のあたりでは、ペリーの来航をお祝いして、あたかもペリーを日本開国の恩人のように褒め称えている。実に情けないしぐさと言わなければなりません。もちろん、アメリカにはアメリカなりの正義がある、それは当然だし、それはそれでいい。しかしそれとは別に、日本には日本の正義がある。それをことさら争う必要はないでしょうが、ただそういう、日本としての誇りは、しっかりと胸にいだいていなければなりません。そして、このアメリカの思い上がりが、その後の日米関係にどんな悲惨な結果をもたらしたか、それをしっかり見つめなければいけない。それを曖昧にしていれば、今度の大東亜戦争の意義も分からないし、これからお話しする占領政策の苛酷な意味も理解できないことになるのです。



  ◎ 著者紹介
  小柳陽太郎(こやなぎ・ようたろう)
 大正十二年生まれ。旧制佐賀高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学。学徒出陣。
 戦後、福岡県立修猷館高校で長年にわたり教鞭をとる。元九州造形短期大学教授。
 現在、社団法人国民文化研究会副理事長。
  著書に『戦後教育の中で』(国民研叢書)『教室から消えた「ものを見る目」、「歴史を見る
  目」』(草思社)
  編著に『歴代天皇の御歌』(日本教文社)『平成の大みうたを仰ぐ』(展転社)『嵐の中の灯
  台』(明成社)


 ※ お子様が居られる方、教育に関心のある方は『教室から消えた「ものを見る目」、「歴史
    を見る目」』と『嵐の中の灯台』をご一読されますようをお薦めいたします。 


ページのはじめ


      

御遷宮四百年記念事業

 当社は平成十四年から御遷宮の準備を致します。 宮の尾と呼ばれる、現在のTNCテレビ塔一帯の高いところから、 今の場所に戻られてからちょうど四百年目に当たります。

 この目出度い年を記念いたしまして、御造営事業を計画いたしております。 老朽化して危険な建物がございますので、全体の計画が立ち次第随時行う予定でございます。

 神社の伝統護持と日本文化の継承に皆様のご理解と温かいご支援をお願い致します。
 ご寄付は御社頭にて受付をしております。

 
   

◇ 崇敬会のご案内 ◇
 九月新年度

 
『神は人の敬いによって神威を増し、人は神の加護によって栄える』とは古人の言です。
 神は人が近づくことによって守護を増し、人は神に近づくことによって真の幸せを頂けるのです。
 先ず自らが神に近づけるよう「心の荒廃した世を直していただくよう、少しでも立派な人間になれるように祈るのです。

 一人では微力ですが心の合力は大きな力となり神のご守護を受けます。それによって先ず自らが幸せにならしていただく、それが自然と人に広がり伝わっていくのです。
 その鍵は、無私の祈り(浄心)とご先祖の浄化にあります。
 このような時代だからこそ、神と共に喜びのある人生を価値ある生き方をお互いに励まし合いながら見出しましょう。


 ※ 詳しくは社頭にあります入会の案内書をご参照下さい。

 ページのはじめ


 9月の行事

朔日・十五日  月次祭     十一時
 七日  (土)  神道講座   十三時半
二十三日(月) 秋の彼岸祭  十二時


10月の行事

朔日・十五日   月次祭    十一時
  五日  (土)  神道講座    十三時半
二十日 (日)  秋季大祭   十一時
    

秋の祖霊祭      心を深める

鎮守の杜の自然観   極まればまた蘇る道ありて  御遷宮四百年記念事業

崇敬会の御案内   9月・10月の行事