高宮八幡宮社報  やまもも

<発行>
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高宮八幡宮社務所
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只心 心すめよと 祈れかし 心澄むこと これが信心 

第12号 平成14年7月 発行

夏越の祓い      心を深める

産土(氏神)と先祖   極まればまた蘇る道ありて  御遷宮四百年記念事業

神社ボランティア募集   8月の行事

  
◇◇夏越の祓い◇◇ ナゴシノハライ

   人形の祓い 人形で体を撫でて息を吹きかけて自分のケガレを移してお祓いする。陰陽道の影響
のあるこの儀式は、神秘的な効力があります。体を撫でさすった瞬間、体の痛みや体のだるさが取れたり 、また人形を預かる神主はこの期間微熱が続いたり、異常な疲労感を感じたりイライラしやすくなり ます 。大祓が終わると嘘のようにその症状が消えていくものです。神主はこの期間は並々ならぬ潔斎 (清め 祓い)が必要です。
   祈りを込めた人形にはそれほど強い感応力があるものです。この人形に水や火の祓いと神霊の祓いをお願いするのです。

   茅の輪神事や祈祷に使う材料には細かな約束ごとがあり、茅も霊力のある植物とされています。
 茅にはケガレを祓い吸い取る力があり、お祓いの後は御焚き上げするのはケガレを吸い取っているからです。眼に見ないケガレはいわゆる因縁の表れであり、病気災難の原因とされます。身体的にはストレスとして免疫力を低下させます。
   ケガレは人によっては気として感じられるもので、人の病気の場所や症状も感じたりするものです。 俗に言う人酔いする、毒気に当てられると言うのはケガレを気として感受したわけです。

   夏越の祓いは暑く体力の弱る時期に、ケガレから来る諸々のトラブルに巻き込まれないようにする  お祓いです。



  夏越・獅子祭り 大祓・茅の輪くぐり

   七月二十七日(土)午後四時
   《 人形大祓の祈願 》 受付中

◎ 祭の当日来られない方は、人形を事前にお送り下さい。
◎ 人形は社頭に用意いたします。郵送希望の方はお送りいたします。
◎ 獅子祭りに参加して「子供たちの心のふるさと」を作ってあげましょう。
 
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        心を深める 第4回
        名誉宮司 木原邦雄 

  人の話を聞く

 
人の話は、あまり理屈ぽく、詮索して聞いてはなりません。もっと素直に聞く時はその人の本当の心が分かるものです。こちらが先入観に捕らわれて居ると真意が掴めないものです。
 特に自分の考えに捕らわれて人の言うことを受け付けないと、人に嫌われるばかりか、進歩しないの
です。
 人の意見をよく聞く習慣をつけると先が見えるようになるのです。人との繋がりも出来てくるし、和合も出来てくるのです。

  心の切り替え A

 
前にもお話ししましたが、この訓練が大切です。私共は物事に捕らわれ易いのです。それを先ず切り捨てることです。
 過去はどんなに考えても戻ってこないのです。してしまった事が誤りであっても、それを引き戻すことは出来ないのです。判り切っているのに何時迄も後悔したり悩んだりするものです。
 未来も引っ張り出そうとしても出来ないのです。考えてみてもその時になってみないと、現れるのはどんなものか判らないのです。必ずしも予想通りにはならないものです。
 ですから今の処理だけを考えればよいのです。過去の失敗も未来のことも切り捨てて神に頼むことです。神に頼んでから、思い付いたことをすれば良いのです。
 今日の問題は今日処理し明日に持ち越さぬ事です。これも切り替えです。

 私共はとかく、人を責めて相手を変えようとするものです。ですがそれは旨く行かぬものです。相手を変えるには、先ず自分が変わることです。そうすれば相手も変わってくるものです。此処でもこだわりを捨てる事です。
 愛情とは自分を離れ欲や興味を忘れて先ず人の為を考えてやる事です。その愛情や和合の心を忘れるから腹が立つのです。
 人の心を直すのでなくて、助ける心を起こす。自分が助けるのでなくて、そのことを神に願うのです。助ける力はなくても願う力はあるのですから。
 自分の心も責めてはいけません。何か失敗があっても、神にお詫びしてあとは心を切り替えて忘れる事です。何時迄も後悔したり責めてはなりません。修行中に、邪念怒り憎しみ哀しみ等が起こったら、自分を責めるのでなくて、早く切り捨てる事です。それでないと身体にも影響して病気になることがあります。この心掛けを忘れても、その事に気が付いたら、すぐお詫びしてやり直しますと自分の神様に誓うことです。それも切り替えの習練です。
 
  無口もいけない

 
人と和合しようとするには無口であってはいけません。誰とでも気安く話が出来るように努力するのです。その為にはこちらが心を開いておかねばなりません。相手に対して何かこだわりがあっては、簡単な挨拶も出来ません。それを捨てて、にこやかに挨拶すれば向こうもそれに答えるものです。
 自分を飾る心も捨ててしまえば、誰とでも話が出来るようになります。陰気な顔をしてあまり物言わぬ無口であるのは、人によい気持ちを与えないし、自分も病気になり易いのです。話しすぎる位の方が朗かで人も陽気にさせるのです。和合も出来やすいのです。

 人と心を打ち解ける為には先ず相手の意見をよく聞く事です。素直に捕らわれずに聞く事です。そして自分も話すことです。この場合に、敵愾心や憎しみの心があっては本当の話し合いは出来ません。相手はどうあれ、自分はそんな態度でないと、心の清浄にはなれません。感情に捕らわれては正しい判断も相手の理解も出来ません。

 その人の話を聞いて、こちらが正しいと判断できたらその事を言う。そうすれば心に残らない。腹に溜めないからよいのです。
 しかし、その人の気性を見て話さねばなりません。それでないと悪い結果になる事もあります。このように、人に対する愛情から出発した話でないと、本当の話し合いではなく、混乱と憎しみさえも生じることが殆どです。

 あの人は頑固かと思っても、その人自身は善、正しいと思っているものです。ですからこちらに愛情がないと、向こうの話も言葉だけに捕らわれてその人の本当の心は理解出来難いし正しい判断も出来ないのです。この心の通じ合う事が実は大切なのです。

                                                   

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  産土うぶすな(氏神)と先祖

  土地の神の中で産土の神と呼ばれる神は、その土地の全ての命(自然の営み)を支える神です。
  人が産まれてくるとき産土の神の導きを受けこの世に産まれてきます。生きている間は学業、仕事、結婚等生活のすべてにこの神の導きがあります。そして亡くなると産土の神の導きによってあの世に帰ります。産土の神は大国主(幽世大神=かくりよの大神)の子供であるとされています。

  幽世の大神とは死後世界を治める神、産土の神はあの世とこの世の橋渡しをしていただく神。亡くなった人はあの世で修行のため、生前お世話になったご縁の深い産土の神の下でお使へするそうです。
  もちろん選ばれた霊人(先祖)の話でありますが、そうなれば子孫は充分なご守護を戴けるようです。それをご先祖が神上がりするとして喜んだのです。

  すべて先祖供養をお寺でするようにしたのは江戸時代の檀家制度からです。しかし、本来はお寺も土地の神の許しを得て仏の道を説き先祖供養をしているのです。
  これが厳然とした日本の神界そして霊界の決まりです。この神々の働きを「結び=ムスビ」の働き、「結び」の信仰としました。
  人や組織、社会は結びによって成り立ち、生成化育、修理固成(誕生、発展、再生)するとされます。言うまでもなく、人の結びによって産まれるのが息子・娘です。

  ご先祖の供養も幽世の神、産土の神にお願いされれば尚一層のご守護お導きがあります。それは神界、霊界の仕組みに適ったことだからです。
  そして、心掛けることは子孫の私たちが先祖を助け供養するのでなく、神仏に先祖のことをひたすらにお願いして救っていただくのです。そこで先祖の救われた喜びが神仏を通して私たちに恵みとしてもたらされます。 

  神と先祖と人の関わり合いを確認するのが年中行事だったのです。そして、神上がりしたご先祖を家の守り神として遠祖や氏神や屋敷神と称して家の大黒柱や敷地の西北に祀っていました。


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極まればまた蘇る道ありて

〜 『戦後思想』 克服のために 2 〜

小柳陽太郎

   吉田松陰の「下田の獄」(しもだ ごく)  


 「学校崩壊」「学級崩壊」という言葉を聞くと、私はすぐ思い出す言葉があるのです。それは当時江戸にいた吉田松陰先生が、郷里のお父様にお出しになった手紙の中の一節です。それは嘉永七年(一八四五)の一月、その前年の六月、ペリーが浦賀に来たその翌年でした。ペリーは浦賀にきて幕府に国交を迫ったあと、いったん日本を離れ、その翌年の二月、再び日本に姿を現します。その直前の一月二十七日に書かれたのがこの手紙なのですが、その手紙の中に次のような言葉があるのです。

    穏便おんびん々々の声天下に満ち、人心土崩瓦解  皆々太平を楽しみ居る中にも、有志の輩は
    相対して悲泣するのみ御座候


  「穏便々々」とは、まあまあそう騒がないで、このところはうまく事を納めた方がいいと云うことでしょう。人々はすっかり浮き足立ってまあまあと言うばかりで、「人心土崩瓦解」、人々の心はすっかりバラバラになってしまって、ただ目前の太平の中に浸っている。その中にあって、志ある私たち仲間は、お互いの顔を合わせれば悲涙に暮れるばかりですと書いておられるのです。「学校崩壊」という言葉を聞くとすぐ思い出すのは、この「人心土崩瓦解」という松陰先生の言葉です。すっかり目標を失い、現実のどこに手をつけていいのか全く分からない。百五十年前のあの時代にも、日本はこのような危機にさらされていたのです。それに対して一体どうしたらいいのか、それについては松陰先生はここでは特別触れておられませんが、その日からちょうど二ヶ月、三月二十七日、先生は下田の港で米艦に乗り込もうとして失敗、自首して下田の平滑という番人の獄に入れられるのです。その時の状況を後に書き留められ、「回想録」と言う文章の中に、先生なりの回答が用意されていると思うのです。

    の夜、平滑ひらなめという番人の獄に下す。獄  だ畳一敷、両人ひざまじえて居る、すこぶ
    その狭きに苦しむ

 
 両人というのは先生と、同行した金子重輔という門下生と二人なのですが、二人なのに僅かに畳一畳、「両人膝を交えて居る」とあるように本当に狭かったのでしょう。しかし先生はそれにもめげないで、番人から二、三冊の本を借りて読む。そしてその後が凄いのですが、その番人に、

   皇国こうこくの皇国たる所以、人倫じんりんの人倫たる所以、夷狄いてきにくむべき所以を日夜高声こうしょうに称説す

と書いておられるのです。このように狭い牢屋の中で先生は番人に語りかけるのです。この激動する時代の中で、われわれは一体何をなすべきなのか、どのような生き方を選ぶべきなのか、それを先生は夜も昼も高く声を励まして番人に説くのです。その生き方のポイントが三つある。その一つは「皇国の皇国たる所以」を知ること。天皇を中心に仰いで生きる日本の国柄をしっかりと自覚しなければいけないということ。次は「人倫の人倫たる所以」。人倫とは人間のこと。人間は動物、禽獣とは違うということでしょう。先生は最後に「志規七則」という文の始めに、

    およそ生まれて人たらば、よろしく人の禽獣きんじゅうに異なる所以を知るべし

と描いておられますが、人間として生を受けたものの、当然守るべき道を知れということです。そして三番目に「夷狄の悪むべき所以」。外国がどのような意図でこのように日本に開国を迫るのか、その魂胆をしっかりと見極めなければならないということを説かれるのです。ところがこのようにして番人に心を込めて語りかけていると、番人は先生の激しい思いに胸打たれてついには涙を流して先生の言葉に耳を傾けるのです。

    獄奴蠢爾ごくどしゅんじいえどまた人心あるもの、涙をふるって我が輩の志を悲しまざるはなし

 私はこの言葉に接するたびに本当に胸の底から揺さぶられるような思いがいたします。「獄奴蠢爾と雖も」の、蠢とは虫のうごめくこと。獄の番人は教養も学力もない身分の低い男なのだがやはり人間の心は持っていた。その証拠に自分の言葉に真剣に耳を傾け、涙を流してくれた。それに松陰先生は強く感動されるのです。
 松陰先生の偉さ、それはあの松下村塾から次の明治を担う人材を次々に育てていかれた、その素晴らしさにあると言われています。それは確かにそうです。しかし、先生の本当の偉さは、むしろそんなところよりは、今、目の前にいる男、その人に次に時代を担う力があるかどうか分からない。しかしそんなことよりも、その一人の人間を、全力を込めて育ててゆく、人間として目覚めさせてゆく、そうしないではおれない、その迫力にあると思うのです。獄の番人、それは凡そ社会の底辺にいるような男です。しかし先生にはそんなことには何の意味もなかった。先生はただその平凡な人間の中に、人間としての火をともすことに全力を注がれたのです。そこに先生の真の教育者としての面目があると思うのです。
 ともあれ、そこで先生は三つのことを説かれた。

     @ 天皇を中心に生きる国柄の素晴らしさ、その中に日本人として生きる、あふれるような喜び
次に、 A 人間としての誇り
そして、B 現実を、ムードに流されないで自分の目でしっかりと見つめる的確な目

その三つ、それがこのような乱世に生きる三つの柱であると説かれるのです。先にお話ししたように、人心土崩瓦解、その崩れてしまった社会の中から立ち直るためには、この三つの柱が要る、それをここで先生は明らかにされたのです。結局、それを学ぶ以外に瓦解した人心を立て直す道はないそこに先生は一つの理解を示されたのですが、それは平成の御代に生きる私たちにとっても全く同じ事ではないか。皇国の皇国たる所以、人倫の人倫たる所以、夷狄の悪むべき所以、日本を取り巻く数多くの国々が、どういう気持ちで日本と交渉を持っているか、その赤裸々な姿、その三つがハッキリと分かる時に、日本が蘇る日は来る。それは松陰先生の時も、「学級崩壊」に苦しむ現代社会も同じ。いずれもその三つが見えなくなっているのです。



  ◎ 著者紹介
  小柳陽太郎(こやなぎ・ようたろう)
 大正十二年生まれ。旧制佐賀高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学。学徒出陣。
 戦後、福岡県立修猷館高校で長年にわたり教鞭をとる。元九州造形短期大学教授。
 現在、社団法人国民文化研究会副理事長。
  著書に『戦後教育の中で』(国民研叢書)『教室から消えた「ものを見る目」、「歴史を見る
  目」』(草思社)
  編著に『歴代天皇の御歌』(日本教文社)『平成の大みうたを仰ぐ』(展転社)『嵐の中の灯
  台』(明成社)


 ※ お子様が居られる方、教育に関心のある方は『教室から消えた「ものを見る目」、「歴史
    を見る目」』と『嵐の中の灯台』をご一読されますようをお薦めいたします。 


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御遷宮四百年記念事業

 当社は平成十四年から御遷宮の準備を致します。 宮の尾と呼ばれる、現在のTNCテレビ塔一帯の高いところから、 今の場所に戻られてからちょうど四百年目に当たります。

 この目出度い年を記念いたしまして、御造営事業を計画いたしております。 老朽化して危険な建物がございますので、全体の計画が立ち次第随時行う予定でございます。

 神社の伝統護持と日本文化の継承に皆様のご理解と温かいご支援をお願い致します。 ご寄付は御社頭にて受付をしております。

 
   
◎◎ 神社ボランティア募集 ◎◎

 当宮では昔より多くの行事が氏子・崇敬者のご奉仕で行われています。しかしながら、初めての方(特に新しく越してこられた方)が参加したいと思っても窓口のない状態でありました。今後は随時ご参加を募りますので社務所へご連絡下さい。
 

  〈各行事〉
   清掃奉仕   (その他イベント)
   祭礼奉仕   夏祭り(獅子祭り)・秋祭り・正月

  〈組 織〉
   清掃奉仕委員会 ・ 獅子祭振興会
   世話人(通年祭礼奉仕者・ハッピ)
   青年会 ・ 崇敬会


◎各行事一つでも結構です。 
◎どこに住まれていてもかまいません。 
◎転勤で来られた方はお子様の故郷の思いで作りの 為にもご参加下さい。
◎温故知新 新しい地域共同体を模索します。


 ◎社頭、紙面にてご案内申し上げます。
   ご参加をお待ちいたしております。

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           7月の行事

    朔日・15日    月次祭       11時
    6日(土)      神道講座     13時半
   27日(土)    夏越・獅子祭り    
            8月の行事
                   
   朔日・15日     月次祭      11時
               神道講座      お休み
    

夏越の祓い      心を深める

産土(氏神)と先祖   極まればまた蘇る道ありて  御遷宮四百年記念事業

神社ボランティア募集   8月の行事