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高宮八幡宮社報  やまもも

<発行>
〒815-0083 福岡県福岡市南区高宮4丁目9-34番地
高宮八幡宮社務所
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只心 心すめよと 祈れかし 心澄むこと これが信心

第11号 平成14年5月 発行                                                                  

お陰様 御遷宮四百年記念事業 心を深める

鎮守の森の自然観(第4回) 極まればまた蘇る道ありて 日華親善友好訪問 その3 地鎮祭
神社ボランティア募集   6月、7月の行事

 
    かげさま
お陰様

 「お陰様で無事暮らしています」
 「お陰様で仕事も順調です」
 当社にはお陰を頂きましたのでお礼に来ましたと参拝する人が後を絶たない。お陰とは目に見えざる力や働きによって恵みを受けることや、物事がうまく行くこと。 
 このお陰の中で最大のものが生命を頂いていること生かされていることです。ですから、神棚で朝に一日の無事をお願いし、夕にお礼申し上げる。月参りも正月も同じこと。

 すべての命の営みは見えざる神の恵みあってこそと感謝申し上げ、畏敬の念を持って生きて行くなら、すべてのものが貴い神のお陰の賜であることに気づきます。このお陰を頂かぬものはいないはず、そのお陰に気づかぬ人が多いのが残念ですね。 
 お陰様と感謝する心は、互いに命の尊厳(八百万の神)を讃え合う心なのです。


御遷宮四百年記念事業

当社は平成十四年から御遷宮の準備を致します。 宮の尾と呼ばれる、現在のTNCテレビ塔一帯の高いところから、 今の場所に戻られてからちょうど四百年目に当たります。

この目出度い年を記念いたしまして、御造営事業を計画いたしております。 老朽化して危険な建物がございますので、全体の計画が立ち次第随時行う予定でございます。

神社の伝統護持と日本文化の継承に皆様のご理解と温かいご支援をお願い致します。 ご寄付は御社頭にて受付をしております。

                  

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        心を深める 第3回
        名誉宮司 木原邦雄 

心の清浄

  信仰者は恒に「新鮮な」気持ちを保って居なければなりません。毎日清々しい気持ちで居らなければなりません。そう在るために心の修行が必要です。神に仕える心とはどんな事でしょうか、心を清らかに保つことです。心を清らかに保つとは、どんな事情であれ忘れ去った無の心です。
何事にも捕らわれのない心です。
 神を思う素直な心境、その真心を神は受け取られます。怒りの心が一番良くありません。神様の方から指導や守護されがたい状態です。

  自分も苦しいのですが人からどう言われようとも、蔑まされようとも、罵られようとも立腹してはならないのです。そうしたことから超越しましょう。そんなことは人間相互のことに過ぎません。私共の生きる対象は神様です。神と共に生きているのです。
  ですから人がどんな罪を犯しても憎むことなくむしろ救う道を考えねばなりません。それが神の心ですから。
  人に会うときは笑顔でなくてはなりません。これは大切なことです。
怒った顔を見せれば相手も怒った顔になります。人に怒りが見えるときは自分の心に怒りがあるからです。訓練の始めは心で怒っていても顔に出さないようにします。

善悪共に返りが来る

  障りと言われる状態の多くは人の執念を受けていることも多く見受けられます。又、人の大勢集まる処で、人の悪念等を被ると病気になることがあります。
  人に口不浄を掛けてはならないのです。悪口批判等です。それは必ず自分に戻って来るものです。
  人の悪念を受けるのは自分が汚されていることになります。それは自分にそうした心の汚れがあるからです。
 心の切り替えが出来れば、それが避けられるようになります。
人を尊敬し、愛情を持って対すれば相手からも尊敬され和合が出来るものです。人は自分自身にどれ程の知識才能が有っても人の助けがないとそれを役立てることは出来ません。
 
 相手がどんなに悪くとも憎んではならないのです。愛情を持って迎えてやれば良くなるものです。
 人を憎む事、咎める事、自分の思い上がりがいけないのです。批判することも憎む事と同じにならないように注意が必要です。

 口不浄に注意して、自分で自分を清めていくと共に、人とも仲良くなる努力をすることが大切です。そうすれば神は必ず協力して戴けるのです。
「どうぞ、出来るだけ多くの人の為に知恵を与えてください」と祈る程の心の余裕が多くの繁栄をもたらします。
 この訓練は、先ず家庭から。職場からです。日常の生活の中から始めるべきです。


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鎮守の杜の自然観 第4回

   環境問題を考える

 鎮守の杜に神をまつる日本人の自然観が、環境問題を考える上でとても有効であると、世界中のエコロジストが注目しているそうです。 このエコロジーで言う、
「環境にやさしい」と言う表現が馴染めません。我々は自然環境の一部だし、そこに共生し、そこに生かされている存在であり、我々は決して自然の支配者ではないはずです。もっと謙虚なスタンスで考えるべきでしょう。
 西洋思想では、自然とは対立し征服支配すべきものです。その行き過ぎに危機を感じてエコロジーは盛んになってきました。

  自然との共生を感性として持ち続けてきた日本人は、自然を「母なる大地」の言葉どうり親であり、また家族であり、仲間であると心の奥で感じていたものでした。
 親あっての自分、先祖あっての自分、社会あっての、国あっての、水・空気・自然・地球あっての自分。日本人は自然と共にあって、当然当たり前のことを当たり前に思い感謝してきただけのことです。

    環境問題は家族問題?

 環境問題と家族問題を一緒にすると人は笑うだろうけど、大まじめで今日本で起きてる異常なことは全て根っこは同じであると思えてなりません。
 親先祖を大切にしない子供。子供を殺す親。もはや家族と言えない同居人一家。国家、国民を忘れ己の権益に走る政治家、官僚、経済人。
 狂った個人主義によってあらゆるものに優先する個人の利益。この個人の利益に反するものは、自由、人権、平等という言葉を盾に追いやるのです。まさに自分さえよければ後はどうでもよいのである。他人のことなんか知ったことじゃないと言う有様。

 世の中がこれほどおかしくなったのは日本人が西洋化する事ばかりに躍起になりすぎてしまって、日本人のおくゆかしい感性、価値観を忘れ失ったことがもっとも大きな原因です。日本人自らが日本の伝統的感性や価値観の重要性に気づかなければいけません。

    家と村(感性と価値観)

  日本人は自らの感性・価値観を社会制度や宗教と言ったもので制度化しませんでした。親から子へ、先輩から後輩へと言うように、口伝えや共に経験することによって伝えてきました。その核が家族であり、村と呼ばれる地域共同体(農村)でした。その経験を共用する場が家や村で行われる年中行事です。三世代前までは日本中ほとんど農村で農家ですから、鎮守の杜を中心とする感性、価値観も農耕と密接に関係しています。
  「家」も「地域共同体」も無くなってしまった昨今、どこで学び経験すればよいのでしょうか。感性・価値観の中には「命とは何か」、「人とは何か」、「どう生きるべきなのか」、と言う問いに答えるエッセンスが含まれているものなのです。
  市町村の行政でグリーンツーリズムと称して農村の活性化を志向していますが、日本の伝統的な感性や価値観の教育の場となればと思います。
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極まればまた蘇る道ありて

〜『戦後思想』 克服のために 1 〜

小柳陽太郎

   問題の根源は何か

 皆さまよくご存知のとおり、最近は連日のように、学校崩壊、学級崩壊という言葉が、新聞の紙面に見られるようになりました。いつのころからか、中学校が荒れているということはよく耳にしておりましたが、最近では、小学校、それも低学年にまで、こういう驚くべき現象が見られるようになってきて、けさのニュースでも、これは日教組の調査ですが、小学校の三割以上の先生が学級担任を辞めたいと言っていると言うことが報道されていました。
 学校の教壇に立った経験がおありの方は、よくお分かりだと思いますが、学校の仕事の中で一番楽しい、やりがいのあるのは、クラスを担任することです。もちろんその中でつらいこともありますが、生き生きとした子供達の視線を集めながら、精いっぱいにクラスを運営してゆくことの喜び、教師になってよかったとしみじみ思うひとときです。
 私も長い間、高校の教師を経験しながら、心の底からそう思いました。高校でさえそうですから、純真な子供の心に包まれてクラスの担任を続ける小学校の教師の喜びはさぞかしと思うのですが、その
担任をやりたくないという教師が三割を超すと言うことだけでも、学校の荒廃ぶりがどんなにひどいことなのか、ただならぬ状況であると思われてなりません。

 では一体どうすればいいのか、先生の話を全く聞こうとしない子供たち、授業中に机の上を歩く子供さえいるという話も聞きます。
 それをどう叱っていいか分からない先生方のご苦労もさぞかしと思いますが、問題は、それぞれの場面でどのように叱ったらいいのか、指導したらいいのかという、方法、工夫、そんなものをはるかに越えたところにあるのではないか。
 
その大本は一人一人の思惑をはるかに越えたところにある。一人一人の善意をどんなに積み重ねても、どうにもならない濁流が、止めどもなく流れ込んできている。問題をその源まで遡って、その根源を正さなければどうにもならないと思うのです。

 そんなことを言えば、今、目の前に火がついている、それを放置して、そんな回りくどいことを考えている暇はないと思われる方がいらっしゃるかもしれません。しかし私はやはりここで焦ってはいけないと思うのです。その根本をしっかり抑えないで、一つのクラス、一つの学校、そういう目先のことにとらわれた、いわば対処療法をどんなに施しても問題は一向に解決しないのではないか。

 では
その根源とは何か。そのことについては追々申し上げていきたいと思いますが、それを端的に言えば「国が病んでいる」ということでしょう。日本という国が国としての機能を果たしていない。国としての体をなしていない。それで国の教育を正しくしようとしてもできるはずはありません

 そのことを放っておいて、教育にゆとりを持たせるだとか、カリキュラムを学校の裁量に任せるのだとか、週五日制にするのだとか、文部行政は次々に手を変え、品を変えて、対策に明け暮れているようですが、それではどうにもならない。日本の教育はそういうところまで来ていると思うのです。
 「国が病んでいる」。ではなぜそうなったのか。
それを突き詰めて考えて行けばやはり占領政策というところに行きつく。現代の教育をそこまで追い込んできた占領政策とは一体どんなことだったのか。それを皆様とご一緒に考えてみることによって、問題の緒口に迫ってみたいと思います。
 もっとも占領政策と言っても、とりわけ今の若い方々にとっては遠い遠い昔の話、それを今さら取り上げてもどうにもならないだろう、ましてどんなに占領政策に問題があったにせよ、それを今の時点であれこれ非難してみても結局は泣き言に終わるに違いない。そう思われる方もいらっしゃるでしょう。確かにそうです。ここでそんな愚痴を並べても何の意味もない。
 しかし私がここでぜひともお話し申し上げときたいのは、占領政策が、決して一般に考えられているような、ひどいこともあっただろうが、
いい面もあったというような、そんな生易しいものではなかった、それが日本のいのちそのものを断ち切るような、いかに峻烈、苛酷なものだったかということを直視していただきたいということです。
 
もう一つは、だが、いかに苛酷だったとはいえ、それを撥ね返す力は一体日本にはなかったのか、もしなかったとすれば、それはなぜか、ということを今の時点において徹底して反省しなければいけない。占領政策の直視と、それを撥ね返す力の欠如への反省と、その両者をしっかりと見据え、戦後思想そのものを克服する道を見出さなければ私たちは一歩も前に踏み出すことは出来ないところに来ていると思うのです。



  ◎ 著者紹介
  小柳陽太郎(こやなぎ・ようたろう)
 大正十二年生まれ。旧制佐賀高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学。学徒出陣。
 戦後、福岡県立修猷館高校で長年にわたり教鞭をとる。元九州造形短期大学教授。
 現在、社団法人国民文化研究会副理事長。
  著書に『戦後教育の中で』(国民研叢書)『教室から消えた「ものを見る目」、「歴史を見る
  目」』(草思社)
  編著に『歴代天皇の御歌』(日本教文社)『平成の大みうたを仰ぐ』(展転社)『嵐の中の灯
  台』(明成社)


 ※ お子様が居られる方、教育に関心のある方は『教室から消えた「ものを見る目」、「歴史
    を見る目」』と『嵐の中の灯台』をご一読されますようをお薦めいたします。 





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   続 日華親善友好慰霊訪問 その3
古賀靖啓

海の彼方のニッポン

 台湾中日海交協会 胡順來さんよりお手紙と文章『海交だより』を頂戴したのでその1部を掲載します。

「海交だより」
元日本海軍軍属 胡順來

1) 
四〇〇年前台湾国はフイリッピンと同じ一国であった。それがスペイン、オランダ、英国、シナ、日本、などの統治下に成ったが、その中で日本だけが台湾人に教育を施し台湾に大建設を施行した。東南アジヤの国々を見よ教育はしない、国家建設は振興しない為、経済の発展は出来ない即ち台湾、韓国、東北「昔の満州」など日本の統治下になつた国々が発展しているではないか。日本国は絶対に侵略主義ではない。世界平和の為、アジヤの国々の民族解放をした功労者であることを知って貰いたい。もしも日本が侵略であれば、我々台湾人を侵略戦争に連れて行ったことになる。大東亜戦は聖戦なりと小生は固く信ております。

2) 
そして戦後日本が台湾に残して呉れた膨大な資産が基礎と成り東南アジヤの国々に比して、あらゆる方面の施設が進歩した。例を挙げると、教育、農業、工業、発電所、交通、鉄道、製糖、道路、港、東洋一の燃料廠、軍事施設、魚温、水利、灌漑、治安、云ふたら限りがない程である。それが絆となり今日の台湾は世界でも大きい工業国となり豊かな経済大国となったのであります。これは偏に我々の年代に日本が台湾で行った教育勅語の教えが功を奏し、然も日本は膨大な資産を残した功績がある事を日本、台湾の後生の人達、若者達にも知ってもらえば幸甚の至りに存じます。そして知らない人達に日本は20世紀のアジヤに偉大な功績を残したことを小生は話し掛けるのである。残念ながら日本と台湾は国交がない。我々老兵は日本との架け橋となり日台の親交を尚一層倍旧に発展することを念願いたしております。

 ※ 「海の彼方のニッポン」とインターネットの検索をすると高宮八幡宮のホームページがでました。ちょっと驚きました。

 台湾慰霊訪問団の詳しい情報はホームページ http://www.nippon-taiwan.jp をご覧下さい。
                                      



◆◆地鎮祭(トコシヅメノマツリ)◆◆


 住むべき土地の安全と清浄は昔も今も変わらぬ人の願いです。家などを建てるに先立ってその土地の産土神や大地の神々に工事の安全と順調な竣工を祈願する祭が地鎮祭です。

 日本人が感じていた土地に対する思いは、大地に種を播くと芽が出まして成長して行きます、それは大地には命を支え育む力があるからで、命を保つ力は神の力ですから、大地は神の力に満ち満ちた神の力を宿したもの、神そのものと考えます。古来、土地を如何に尊いもの神聖なものとしたかが伺われます。
 ですから、土地と云う神そのもの(産土神・地の神)に家を建て住まわせてもらう許可をもらい、併せて神様に禍を成す見えざるモノ(物の怪)があればこれをお祓いしていただくのです。
 神主と施主が真剣に祈れば神霊の降臨によってお清め鎮めができます。それは、その場の雰囲気や御神酒の味が変わることに拠って知ることが出来ます。お祭りには神様をお迎えする真心が必要です。 

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◎◎ 神社ボランティア募集 ◎◎

 当宮では昔より多くの行事が氏子・崇敬者のご奉仕で行われています。しかしながら、初めての方(特に新しく越してこられた方)が参加したいと思っても窓口のない状態でありました。今後は随時ご参加を募りますので社務所へご連絡下さい。


  〈各行事〉
   清掃奉仕   (その他イベント)
   祭礼奉仕   夏祭り(獅子祭り)・秋祭り・正月

  〈組 織〉
   清掃奉仕委員会 ・ 獅子祭振興会
   世話人(通年祭礼奉仕者・ハッピ)
   青年会 ・ 崇敬会


◎各行事一つでも結構です。 
◎どこに住まれていてもかまいません。 
◎転勤で来られた方はお子様の故郷の思いで作りの 為にもご参加下さい。
◎温故知新 新しい地域共同体を模索します。


 ◎社頭、紙面にてご案内申し上げます。
   ご参加をお待ちいたしております。

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             6月の行事
                   
   朔日・15日     月次祭      11時
   朔日         神道講座      13時半 
             7月の行事

    朔日・15日    月次祭      11時
    6日(土)      神道講座      13時半
   27日(土)    夏越・獅子祭り    

お陰様 御遷宮四百年記念事業 心を深める

鎮守の森の自然観(第4回) 極まればまた蘇る道ありて 日華親善友好訪問 その3 地鎮祭
神社ボランティア募集   6月、7月の行事