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日本人の生きる道

 

  ―草木咸(ことごとく)に能(よ)く
        言語(ものいふこと)有り―
                      
『日本書紀』神代巻には「草木咸(くさきことごとく) に能(よ)く言語(ものいふこと)有り」とあるように、たとえ一木一草でさえも生命 を有しており、 皆、心を持っているということが分かります。
「一寸の虫にも五分のたましひ」「躓(つまづ)く石も縁の端 」というように、どんな生き物にもたましひが宿っており、またすべてのものは繋がり合っているのですね。
 まして神社等の神域や聖域ともなれば、御神殿や鳥居ばかりでなく、境内にある建物や御神木、瑞垣 、狛犬はもとより、一木一草に至るまでも、その神域全体には神気が満ち満ちており、時として神社のご神木に祭り漏れの比古神や比女神が宿っていらっしゃることもあるのですから、決してこれらを粗末に扱ってはならないということが分かります。
 心の清らかな人にはこうした樹木の声なき声や、野の一佛さまの御心すらも聞き得るという位です。
 私たちが無我無心、無私無欲の高い心境に至った時にはこうした言語を超えた意念による意思の疎通が可能になってくるのですネ。

 鳥居の前に立ったら(鳥居 は「これより神域である」ということの表示)
 「鳥居が有る」ということは、そこから先は神域なのであり、「御神霊がおわします」ということを示しているのですから、鳥居の前ではきちんと身だしなみを整え、こころを浄め、身を清めて、先ず第一に己が住まいする住所と姓名をお届け申し上げ、「これから氏神様に御挨拶を申し上げたく存じますが、今から入らせて戴いてもよろしゅう御座いますでしょうか。どうか、お取次をお願い致します。」と鳥居にあって外部から侵入する者らの穢れを祓い清めておられる御眷属神に、まずは御神霊への御取次をお願いし、そして、御眷属神から「良し、通れ!」と お許しのお言葉を戴いてから、「ハイ、有難うございます。粗相 ( そそう )のないように心掛けて入らせて戴きますが、万一にも不手際や到らざるところがございましたら、どうか御無礼をお許しくださいませ!」と丁重に申し上げて、鳥居をくぐらせていただく…というのが、神に向かう人間としての基本的な礼儀であり、 日本人の神々に接する際の態度というものです。
 私たちは例え「神の声なき声」が聞こえないまでも、いつもそのように心掛けて鳥居をくぐらせて戴くように致しましょう。

「作法」とはまさに「我が身が助かるための神への作法」ということが出来、神佛に対するこうした基本的な礼儀作法を失する時には、例えどんな祈りや願いをしようとも、神が聞こし召されるということは決して無きものと思うのですが・・・。
 己(おのれ)の心が足らざる時はなかなか神佛の心というものが分からないものですが、そのように考えますと、私たちはたとえ如何なる境遇にありましょうとも、今ある状況は結局は誰のせいでもなく、全ては自分自身にあり、自業自得のなせる業(わざ)なのだと知る必要がありましょう。

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