神仕え2

Ⅴ.鎮魂の本義
(神道行法としての鎮魂 神性発揮の道)
「人は神の子、神の宮」といわれるように、生れ乍らに身の内に神の分け霊魂を頂いているのであれば、そのタマの親たる神に帰一し得ることは言うまでもなかろう。鎮魂は人(霊止)の奥底に鎮まっている霊魂が、その本源たる神霊に感合するための法であり、神霊に接する度にミタマが祓い浄められ、心身共に浄化されて神界に通ずるに至る。人が霊魂を有する以上、専修によって誰にでも為し得る法なのである。

 神社に奉仕する神職に鎮魂の行が出来ていないと、「祓う力」がないために、参拝する人々の穢れ(めぐり)を受けて苦しむことになるのであるから、その点よく心しておくことが肝要である。「鎮魂」とは言っても「鎮霊」とは言わぬことからも分かるように、魂(タマ)は「鎮めるもの」であり、魂が鎮まると霊(ヒ)の活きが起こってくるのである。例え本田霊學云々と称している者等であっても、悲しいかな、こうした魂(タマ)と霊(ヒ)の基本的原理さえ知るものが居ないのであるから、注意すべきである。

 正しい行法に拠らずに、ましてや自己の五感の働きを制することさえ出来ぬ者が、何らかの霊の声を聞いたとか神姿を見た等というのは、それらは全て正神ではなく妖魅などの働きによるものであるから、こうした輩に騙されてはならない。

 正神は神自ら手を差し伸べてきたり人間に直接はたらきかけては来られないが、神仙道的なものや下等なもの、妖魅などは、彼らの方から人間に近付き憑って不思議を見せたり、奇跡的なことを起こしたりして人を驚かせ魅了し、またその人の弱点をよく知ってそこを徹底して突いてくるものであり、神律を無視してあらゆるつまらぬことを思わせそそのかして人の心を陰に陰にと誘い、遂にはその霊魂をも穢し奪い去るに至るものである。

 本田翁の鎮魂法の際立ったところは、次の点にあるといえよう。
 此鎮魂の法は天授の神法にして現世神界の学則なれば、上は天皇の治国平天下の御事よりして、下は人民修身斎家の基本、続きて無形の神界を探知するの基礎なれば、宜敷朝夕之を懐中に秘し、事業の閑暇は謹みて是を省み之を行い、霊魂の運転活動を学習すべし。

 即ち本田翁によれば、鎮魂の要諦は自己の霊魂の運転活動にあり、鎮魂の法を修することにより霊肉分離の境地を会得し、ついで神界に出入し得て、赫々たる神霊の実在を探知し得るに至るというものである。

 座禅の如く単に静座瞑想するとか、身体を揺らし十種神宝を観想する振魂の行によって心を鎮める等といった類の他の様々な鎮魂行法とは、一線を画するものなのである。

 Ⅰ.霊学中興の祖

 『日本書紀』巻第五、崇神天皇の十二年秋九月の甲申朔日己丑条に次のような記述が見える。
 是を以て、天神地祇共に和享みて、風雨時に順ひ、百穀用て成りぬ。家給ぎ人足りて、天下大きに平なり。故、稱して御肇國天皇(はつくにしらしめすすめらみこと)と謂す。

 天地諸神が大きな恵みを垂れ賜い、「五風十雨」の言葉通りに天候も至極順当で農作物も豊かな実りと収穫があり、国民の家々には十分過ぎるほどものが充足して人々は幸せに暮らし、天下は太平である…といった有様が述べられている。
 元國學院大学学長の上田賢治先生は「山や川や海は、人間の生活にとって、その生命の営みを可能にする大きな働きを持ってゐる。そこに、神霊を感じ取ってきたのである」と述べられたが、日本神話によれば、人も国土も共に神の生みの子であり、人は自然と共感し、自然の懐に抱かれて心の安らぎを覚えて来たのであり、日本人にとって大自然はまさに神であったのだ。
 人々が近代教育に毒される前は、「お天道さまが見てござる」ということばがあるように、日本人は世界に神々を感じ取り、神によって生かされ生きる歓びや神仏への畏敬の念を忘れずに、長の年月自然と共にある生活をしてきたのである。神州清潔の民、東洋の君子国と称賛され、実に礼儀正しく、質実剛健、勤勉、正直であり、また慈悲心に富み、なによりも無欲恬淡としたその日本人の高い道徳精神は、西洋人にとって一つの憧れでさえあった。それあればこそ、日本はアジアで唯一、西欧列強の植民地支配をはねのけ、明治維新を成し遂げ、近代化に成功して世界第二の経済大国にまで成長を遂げて来たのであった。

 ところが、西洋科学文明に触れた日本人がこれを取り込み積極的に近代化を図ろうとしたまでは良かったが、いつの間にか西洋科学合理主義や物質主義、経済効率第一主義、個人主義などといった「近代」という異質な文化を取り込んで行くうちに、それまで大切に守り伝えて来たところの日本的なるもの、自分たちが本来所有していた自然(神)と共なる生活、その気高い精神と誇り、豊かな感性、優れた霊性の働きを喪失してしまったのである。実はこうした日本人の生き方こそ、人類共通の普遍的なものであったのにである。
 記紀などの古典を紐解けば、わが国においては古代より帰神(神懸り)や太占(ふとまに)、宇気比(うけひ)など、神霊と直接して神意を伺うための「神意窺知の法」がある。例えば崇神天皇紀や仲哀天皇・神功皇后紀に見られる如く帰神の神法によって直接に神霊の「神意」を伺い、神誥(神教)を受け賜って国家的一大事を決し、神霊の御心を心として政治に事なきを期した幾多の事例があったのである。
 この史的事実に深く感じ入り、中古以来途絶えていた鎮魂法と帰神術を復元し、神道そのものの本質に迫ろうとしたのが、「霊学中興の祖」と称される幕末・明治の神典学者、本田親徳(ほんだちかあつ)である。          つづく

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