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(イ )親孝行 続き

 

まず自分こそが一番に、かけがえのない尊い自分自身というものを真底理解し、いとおしみ大切にし、労わってやらずして、神佛の他に此の世の一体誰が自分を本当に分かってくれるというのか、「己れ」の他に一体誰を頼ろうというのか。あなたは何ものにも替えがたい、此の世に二人と居ない、掛け替えの無い、大切な大切なあなたではありませんか。これからも例え何があろうとも、決してあきらめず、自分には神にも等しい、光輝く「もう一人の自分(真の自己・魂)」が、いつも自分を見つめて居ることを固く信じて、希望をもって力強く共に生きていきましょう。
まして、幸いにも優しい両親を持ち、健康な五体を頂く人は、親の有難さというものを身に染みて知ると共に、人一倍世のため人のために尽くすべきなのではないだろうか。「勝手に産んでおいて」などといった親不孝な言葉は、どんな人も決して吐いてはならない。「親孝行は神の道」であると知って頂きたいのである。

○ 代々の祖 吾が父母の みめぐみを
知りてぞ幸は やがて来るなり (一六〇一)

人は神・仏や代々の親(先祖)のみ恵みが心底身に滲みて分かるようになってきてこそ、はじめて本当の幸せがやってくるのだと神霊は教えられるのである。

神の恵み 神のさきはえ 受けむには
父母の恵みを 先ず知りて後 (一六〇三)

父を拝め 母を拝めよ それからぞ
神の道知る 身の幸となる  (一六〇四)

神々や み仏たちは 今此処に
父母の恵と 現れてあり   (一六〇五)

神を知る 誠の道ぞ 父母へ
孝行なされ 只一筋に    (一六〇六)

○ 一筋に 父母なつかしむ 心にぞ
神も来給ふ 恵み給ふぞ   (一六〇七)

神の恵み これたとへんに 父母の恩
父母の情けぞ よく悟れかし (一六〇八)

ひざにのる 子をいつくしむ その如く

神の情けは 極りもなし   (一六〇九)

 

親は吾が子を決して己れの自由に出来るものではない。それは神からお預かりした大切な神の子なのである。神業によって生まれた子なら、親は神経質にならずに、見苦しい我欲を捨てて無心になって神に任せて育てさせて頂けばよいのである。

神業で 産れしものぞ 己が子と
思ふは誤り 神のみ子なり  (二一二二)

神のみ子 拝み育てよ 病など
起らむ筈は なしと知れかし (二一二三)

神の智恵 神の慈悲にて 育てなば
病ひもなきぞ あやまちも無し(二一二四)

○ 吾が子とは 思ふなこれも 神の子じゃ

神業ならで 生まれぬものぞ (一一四一)

○ 神の子と 思ひ育てよ 吾が子供
神に任せて 神に縋りて   (一一四二)

どうしてわが家の子供はこんなに聞きわけがなく行儀が悪いのかとか、吾が子の出来の悪さを散々に罵る親が居るが、すべてはその子ではなく、親が悪いからである。子供は親のすることを真似て成長するものであるから、子供が真に可愛いなら、子供に立派になって欲しいならば、まず親が心を改め、言動を慎まねばならない。そして小さい内にしっかりと人間としての基本的マナーを厳しく躾けておく事である。
例えば、小さい頃から忍耐心というか「耐え忍ぶ心」を養っておかねば、幾つになっても何時までたっても我が儘で自分の思った通りにならないと、例えばストーカーのように周囲や社会に迷惑を掛けるばかりの人間になってしまうのである。こうした人としての基本的な常識を身につけさせるのは大きくなってからでは遅いのである。
甘やかしや溺愛では子供を歪ませてしまう。子供を立派な人間に育てるには、例えどちらか一方の片親が育てる際にも厳愛(父の愛)と慈愛(母の愛)の両方が必要であることを知っておかねばならない。また、子供の真の教育のためには、親が例えば如何なる職業の者であれ、親・先祖や社会の恩恵に対して感謝の念を忘れない、且つ己れの生き方に誇りを持てる、信義に厚い人間でなければならない。

○ 吾が子等の なりふる様は 皆われの
うつし絵なるぞ よく悟れかし (五七八)

 

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