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(チ)日柄・方位

○ 旅立ちも 家を建つるも 自在なり
その日その日を 神守るなり (二〇九)

世の中には今でも色んな易占いが盛んであり、例えば家を建てたり、遠くへ旅行したりする時には鬼門の方角にはトイレを設けないとか、五黄殺や暗剣殺等の方位は避けたほうがよい等など、その日取りや間取り、方位までも気にする人が多く、またそれを助長するかのように沢山のその道の専門家?が居て、大小さまざまな場所で教えている者までいる始末である。こうした者等はほとんどが「人助け」と言うよりは己れの商売のためであり、従って大抵道理に暗く、人を真実に向わせるのでなくして「迷いの道」に踏み込ませてしまい、且つ本来具有する人の「心の自由性」を奪い束縛するものである。また人が幸せに生きるために一番肝心な「心の癖直し」ということについては全くの理解がないため、心を澄清にする道を教えることが出来ないから困ったものである。その為、人々を誤らせた罪の責任を取らされて商売に失敗したり、交通事故に遭ったり、又、首から上の疾病を煩ったり……という目にあわされ、深い反省を促されるものである。
「気学は欲望の方則」とはうまく言ったもので、人が只単に如何に良い方位を取ろうとしたところで、己れの心の悪癖は何一つ直しもせずに、また親・先祖からの業・因縁はシッカリ抱えたままで、お金の回る方位とか様々の縁のできる良い方位を取ろう等と如何に企んだところで、決して幸せになれる筈がないのである。

人は大抵は一生に一度の我が家の新築ともなれば、誰だって昔から「良くない」と言われてきたことはしたくはないし、それに逆らってまでわざわざ無理して悪い家相の家を建てるのも気持ちのいいものではない。また例えそれが単なる語呂合わせではないかと思っても、「南天」は「難を転ずるから」と言われれば「ハイ、そうですか」といった風である。
だが、御神霊は神の道を歩む者は旅立ちも家を建てるのも、何にも拘ることなく自由にせよと教えておられるのである。いつでも神が私たちを見護っておられるのだから、蓋し当然であろう。

家の普請の際に、ちゃんと金神さまの方位は犯さぬようにとその道の専門家に頼んでいたにもかかわらず、日柄方位の咎めを受け、「金神七殺」のひどい目あったのは川手文次郎さんであったが、この方はまれに見る正直で実意丁寧の人であったため、その真心を神に認められ神に頼られるほどになられて、ついには金光大神にまで登りつめた有徳のお方である。今日の金光教の開祖さんである。この御方が世に出られてからは金神の祟りはなくなったのである。人は如何なるときにも、神仏は鄭重に、かつ慎みの心で向かわねばならないものである。

○ 世の中に 悪しき日とては なきものぞ

神が守護する 氏子なりせば (二〇七)

信仰の無い人々は「今日は○○をするのに良い日、悪い日」と頭を悩ませるものであるが、神の道を求め、神の守護のもとにある氏子には、何等こうした心配は無用であると教えられるのである。人が「真の自由」を得るためにはさて、一体どちらの道を歩むべきであろうか。

○ 今日もよし 明日もよき日ぞ 神習ふ
氏子が送る その日その日は (二〇八)