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(ト)「魔」のわざ

○少しでも まこと心に すきあらば
悪鬼邪霊の 住み家とぞなる (四八九)

世間 では「笑うかどには福来る」とよく言うし、また民間宗教でも「ご陽気」とか「陽気暮らし」などと言って、「陽気」に暮らすことの大切さを教えているが、人 は誰でもいつも陽気でいるということはなかなかに難しいのではなかろうか。笑い顔が消えてしまっている人といえば、一番には病人であろう。病院に入院して いる患者がいつもカンラカラカラと腹を抱えて大声で楽しく笑っているのを聞いたことがない。人が「陽」になり、「安の境地」に達するのは実は大変な事なの である。

大宝令の注釈書に「神祇令」に「令義解」「令集解」があるが、それらの書には「人の陽気を魂という」「人の陰気を魄という」と見える。 陽気は神であるとするなら、陰気は邪霊・妖魔であり、人死せば魂(陽気)は天に帰し、魄(陰気)は地に帰すとは中国の陰陽魂魄説であるが、人はとかく「元 気を出せ」等と言って、一般的には陰気は好まぬもののようである。確かに妖魅・邪霊というものはその人の弱点を徹底して突いて来るものであり、色々なつま らぬ事を思わせそそのかして、その人の心を陰に陰にと誘い、そうして最後にその者を自暴自棄させると、今度は己が意のままに使役するに至るものである。

○もの淋し 暗き心は 魔の業ぞ
神の光りで 祓ひのけるぞ   (四〇五)

妖魅や邪霊などつまらぬものに心身を犯されぬように、私たちはいつも神を念じ、心に隙を持たぬようにしなければならない。何かしら物寂しいとか、どうして も暗い憂鬱な気分になるという時は要注意と心得て、家族や友人同士で気をつけ合わなければならない。ほんのちょっとしたことからでも「魔」に入られて、家 族や夫婦間がギクシャクしたり、悶着の種にならないとも限らないからである。これ等のことは大抵は、その一家に信仰なきために、その土地の魄霊(穢れ)や 救われぬ家族や身内の死者霊が救済を求めて騒いでいることが主な原因である。

○夜もすがら 神が見守る 氏子等の
眠りを悪鬼 うかがはぬかと   (九三二)

私たちが知らないだけで、神祭りを欠かさぬ家には家族が寝ている時でも、いつも産土神が各家を見廻り護っておられるのであり、知らぬこととはいえ深く神に感謝申し上げなければならぬ。

悪鬼や邪霊というものは、大抵私たちが寝入っているその隙を覗って後頭部から侵入してくるのであるから、油断も隙もならないのである。神霊はそれをよく御 存知だからこそ、氏子たちの家々を見回っておられるのである。そうであれば私たちは、夜寝る前にはその日一日無事過ごせたことを神に感謝して後、「就寝中 も魔に襲われることのなきようにお守りください」とお願いして休む習慣をつけたいものである。そして朝、目覚めたなら「今日も生命を頂き有難う御座いま す。どうか本日もまが事のなきようお守りください」とか「神の御心のまにまに生かしめ給え」など等、その人なりに一日の無事を祈る習慣をつけると良いと思 う。会社勤めの人も、通学する学生も起きて直ぐに、或いは家を出る前に、また、例え家に居て家事をする人であっても同様である。

○悪鬼と邪霊は 眠れる時に より来たる
眠らぬ時に 神念ずべし    (九三三)

○我が心 すがすがしいと 唱ふれば
悪鬼不浄は 今消え去るぞ   (二〇六)

見知らぬ地にどうしても行かなければならない時や、変な胸騒ぎのするような気になる心配な所へ行く時には「吾が心スガスガしい」と一心に唱えなさい、そうすれば必ず神の護りを頂いて悪鬼邪霊は消え去るものであるぞと御神霊は教えておられる。

私たちはいつも心を清らかに平静に保つことが大切であり、如何なる理由があろうともあせったり、イライラしたり、不平不満やグチを並べ立てたりして平常心 を失い、「心を乱す」ことを避けねばならない。どんな人でも心を乱したら、その結果そして「決してろくな事はない」と知っておくべきである。

○吾が心 すがすがしいと 唱へかし
心清まり 身も清まらむ     (六七五)

心澄めば 神の住居と なる身なり
など悪鬼邪霊を 気にはかくるぞ (一二八二)

おちかゝる ものあらばとて 打ち返す
心ぞ鬼の 住み家とぞなる   (一九二二)

吾が心 鬼の住み家に 明け渡す
人ぞ愚かし ふびんの者よ   (一九二三)

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