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(ロ)まこと心

つづむれば まことの三字 説きゆけば 百萬巻の 教へともなる (1317)

近頃の世の中はテレビや新聞のニュース等で知る通り、人心の荒廃ぶりには目に余るものがあり、「自分の身は自分で守らねば」といった、実に怖ろしい世になったものである。夫が妻を、妻が夫を、そして孫 が祖父・祖母に手をかけ、普段は考えられないとんでもない医療ミスで医者や看護士が患者を・・・などとい った、かつてない凶悪な事件が頻発している。
またインターネットで知り合ったばかりのものが集団自殺するなど、一体この世の中はどうなって しまったのかと誰もが首を傾げるばかりである。人が人を迂闊には信用できない世の中になってしまった。も はや「正義」や「まこと」、「正直ななどといった言葉が死語になってしまったかの如き世の中の状況である。

世の中に 誠なきこそ 悲しけれ 誠出すが 神の役目ぢゃ (527)

御神霊が教えられるには、「神の教え」は一口に言えば、ただ「信心」の二字に尽きるのであり、またその「信心」とは「まこと心」とも言う・・・と。

神の教へ 種々様々に あるなれど ただ信心の 二字につきるぞ(四八五)

信心は まこと心と 言ふもよし 神へのまこと 人へのまこと(四八六)

まことこそ この世あの世の 宝なり 宝うみ出す その大もとぞ(四八七)

人心は荒廃し、まさに「道義地に堕つ」の感あるわが国の現状であるか、どうしたら道理のよく分かる、また義に明るい誠の人間を育てられるかということは、教育上の大きな課題である。「正しい道理」というものが分からなくなった人間ばかりになれば、その国は潰れるからである。そして今まさに、わが国がその危機的状況のただ中にあると言える。
「中庸』(第二十章)に「誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり」とあるが、この「まこと」ほどたいせつなものはなく、「まことのこころ」こそが一切を生む源泉と知るべきである。

慈悲と言ひ 智恵と申すも 元一つ まこと心が ちえを生むなり(四八八)

少しでも まこと心に すきあらば 悪鬼邪霊の 住み家とぞなる(四八九)

悪運も よき運命も 世にはなし まことあるなし 之で定まる(四九〇)

吾が運は 吾がまことにて 造り出せ まこと心に 神が来るなり(四九一)

神は牟田耕蔵氏に、ひたすら「まこと心」 の大切さを繰り返し幾度も教えておられる。

神の座で 神の手代り するあるじ まこと心ぞ まこと心ぞ (五二八)

真心ぞ 只何事も 真心ぞ 真心ならで 此の世渡れぬ (一二四三)

誠あらば 心おのずと 澄むならん 只誠なり只誠なり (五二六)

真心で 祈れば総て 叶ふなり 神の情けと 神の御智恵で (一二四四)

人への誠 神への誠 只誠 誠で行けよ 外にはなきぞ (一三一六)

御神霊は、信仰する人々の神仏への「一心」と「まことの祈り」がもしも届かないようならば、神も佛も無用の長物であるとまで、牟田氏にハッキリと明言しておられる。

一心と まことの祈り 届かずば 神も佛も 要らぬものなり (一二六五)

そして、その「まこと」とは何かというと、「心清めて、円く行くこと」であると教えられるのである。

神への誠 人への誠 誠とは 心情めて 円く行くこと (一〇八二)

心でも もの言ふ事も なすことも 只円やかに 角を立てなよ (一〇八三)

うつし世の いとなみなどは 神任せ まこと心で 世を渡れかし (五二九)

神が強調して説かれる「まこと」というものを、世の人々がこぞって讃えるようになる日は、一体いつになったら来るのであろうか。

此の世にて なすべきことは 只一つ 神を助くる 外はなきなり (四八三)

世の中は 神が元なり 神業ぞ 神を離れて 何もなきなり (四八四)

祈りても まことがなくば 何かせむ 神の通ひ路 せき止(とど)めては (四九二)

誠あらば 病ひ災難 逃げて行く 誠の光で 闇は消え行く (五三一)

罪はなし 汚れは祓う 神業で 心安かれ まことにて行け (一〇八一)

神業に 任せておけよ 物思ふなよ 唯まごころの 祈りなりけり (一一二五)

人こそは 神のいとし子 その中に 神仕えする人 神の宝ぞ (二一三四)

心して 神の宝と なりぬべし これぞ生れし まことの人ぞ (二一三五)

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