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祈り (続き)

 神霊への祈り方が段々分かってきたら、今までの自分勝手なお願いや下手な願い事ばかりするのは、それこそ恐れ多くて、又恥ずかしくて出来なくなってくるものである。体験という尊い宝を頂き、「まごころの願いは必ず聞かれるのだ」ということが心の底から強く実感できるようになれば、なおさらのことである。

○ 一心と まことの祈り 届かずば
   神も佛も 要らぬものなり    (一二六五)

○ 祈りなば 必ず神に 通ふもの  
   祈りて動かぬ ものはなきなり (二〇二五)

  真心ぞ 只何事も 真心ぞ 
   真心ならで 此の世渡れぬ    (一二四三)

  真心で 祈れば総て 叶ふなり
   神の情けと 神の御智恵で    (一二四四)

  祈りなし みかげの見えぬ その時は
   己が心を よく洗うべし     (一二六六)

 又、人様のために祈るときは「じぶん」というもの、見苦しい「我」があってはならぬということをよくよく気をつけて頂きたいものである。「あなたのために私が祈ってやった」とか「私がたすけてやった」だとか、自分の心臓や肝臓の一つ自由にし得ない者が、このような愚かなことを平気で言うようでは先の望みは無いというものであろう。

○ 己が身で 己が心で 祈るなよ
   此の身心は 神に預けよ     (二〇二六)

○ 人のため 祈る時こそ 大切なり
   己を捨つる 心大切       (二〇二八)

  人の為 己がなすと 思ひなば
   早や汚れたり 神引き受けぬ  (二〇二九)

  氏子等の 願ひ頼みを 聴く時は
   己が頭を 先ず下げるべし    (二〇三〇)

  己が頭を 低く下げたる その時に
   氏子の願ひは 神と通ずる    (二〇三一)

 自分の見苦しい慾を抱いたままで如何に長年神仏の道を歩もうと、そうした心穢れた者は邪霊の餌食となって魔物の世界に籍を置く者であるから、決して近付いてはならない。欲望や煩悩にまみれた、そうした低い波長の者には『相応の理』によって低級霊しか同調せず、まことの神仏が近寄るなどということは断じて無いのである。

○ 人如何に 己が慾にて 祈るとも
   低き霊魂の 寄り所のみ    (一一一六)

  慾を去れ 総てを離れ 只祈れ
   助かる道は そこに明けゆく  (一一二四)

 反対に、一切の人間的慾望を捨て去り、日々思うこと為す事がまったく神仏の御心そのものとなたあかつきには、その人は生きながら神仏の世界に霊籍を置き、その住人となるのであり、又、死後はその世界へ往くものである。
 なにもそこまでにならなくとも、私たちは常々神の教えを守って実行するとともに、常に神への祈りを絶やさなければ、必ずや厚い御守りを頂いて、己ればかりか家族共々病もなく 、事故や災難にも遭わず日々無事に過ごせるのであるから、こんな有難い事はないであろう。こうしたことがひしひしと身に染みて分かってきたなら、神を知らずに暮らす人々が如何に哀れで気の毒なものかとさえ思えてきて、陰ながらその人たちのために祈らずにはおれなくなってくるものである。要は「真心の祈り」というものが、如何に「偉大な力」を生み出し発揮するものであるかということを、自ら体験体得するに尽きる。

○ 怪我もなし 病も無きぞ 日に夜に
   祈り絶やさぬ 此の家の内は   (一五四九)

○ 祈りゆけ 朝な夕なに 祈りゆけ
   けがあやまちも 消えてなくなる (一五五〇)

  一里をば 千里とするも 千里をば
   一里とするも 祈り次第ぢゃ   (九三〇)

  祈らずに 神の助けを 待つ者は 
   船に乗らずに 海渡る人     (九三一)

  心清め 姿正しく 祈りなせ 
   悪鬼も更に 霊魂助けむ    (一一一七)

 神業に 任せておけよ 物思ふなよ
  唯まごころの 祈りなりけり  (一一二五)

 心澄し 只一筋に 念じなば
  神身に入りて 神となるなり  (一一三三)

 祈りにて 吾が身助けよ 霊魂等も
  共に助けよ 神は喜ぶ     (一三一四)

 神一筋 唯祈れかし 四方の人
  如何なる事に 立ち騒ぐとも  (一五五四)

 吾が霊の 浄まる様に 祈りませ
  神の息吹で 祓ひ給へと    (一六二六)

 無明なる 此の身心を 握りしめ
  何を祈らむ 何を願はむ    (二〇二七)

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