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遷宮の思いで 夢のご承認(五)

この遷宮を「四百年ぶりの遷宮」と呼んでいたのは、黒田長政公よりご本殿をお頂戴したのが、西暦一六〇二年だからです。それで、四百年後の2002年(平成十四年)から十年計画で遷宮をすることにしたのでした。

正直に申し上げますと、十年という計画の長さは何も計画が立っていない、資金計画の当てがないと言うことでした。今現在の資金と浄財募金で出来るとこまで行い、後は時間をかけてと行くか…、神様任せと云うことになりましょうか。

その頃、社務所兼社宅は補修不可能で取り壊しており、参集殿を社務所とお札所代わりに使っていたのですが、これも床が何度も落ち、屋根も下がってきている状態でした。建物の安全性には時間的猶予はなく、必要に迫られて遷宮は見切り発車となりました。

本殿を建てれば拝殿の建つめどはなく、拝殿を建てても社務所と参集殿がなければ何一つ社務が出来なくなります。神様に誠に申し訳なかったですが、まず最初に社務所参集殿を出来るだけ境内が広く使えるように建てることにしました(H15年9月~H16年3月)。ここまでは予算もあり順調に進みました。

社務所参集殿も本殿拝殿も境内の造成も不思議なことに自分の中にイメージがあり、いつの間にか設計も最善の形で収まっていきました。しかし、本殿拝殿末社参道その他はすでに予算がなく、募金だよりと云うことです。建物のイメージはあっても予算の方は全く解りませんから、設計が進むにつれてタツ工房の野中設計士とコストダウンの為に頭をひねり続けて、熱が出る日々が続きます。設計士は理想とするプランから何度も建物を縮小した案を持ってきますが、それではどうしても納得できません。

その後、設計の夢を見ました。それはこの設計プランは神様が御承認されており、必ず出来るからこのままで大丈夫だと言う意見を聞いて、私が納得しているゆめでした。

その朝、設計士にこのままのプランで行きたいと告げると、直ぐに飛んできて設計には実行予算というものがあり、いわゆる原価だと言います。それでこの予算では工務店が赤字なることが明らかなのでどこの工務店も建設を引き受けず、計画が頓挫すると大変心配してくれています。それで何とか私に設計変更するように誠意を尽くして説明してくれています。それでも一度建てると後からやり直しは出来ませんし、夢のこともあり譲りません。

そこで私の考えついたことは一つは予算はそのままで、時期を遅らせて資金準備の時間を取ること。もう一つは自分勝手な思いなのですが、予算が厳しくとも本殿拝殿をこの規模で建て替えることは珍しいから是非やってみたいという、この設計を粋に感じてくれる工務店をを探してくれるように頼みました。彼も神社仏閣の設計に〝粋〟を感じてやっている男ですから、云いたいことは痛いほど分かってくれています。しばらく時間をかけて考えてくれることになりました。

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