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四、神の座

○むつまじく 家内の者が 打揃い
神の座につく これが何より  (三五)

「床に就く」といえば寝床に入る、就寝するということであり、夜休む時に「床を引く」といえば、寝床を用意する、夜具を引くことである。ではお座敷の上座に床を一段高くした畳一畳分の「床の間」には一体誰が就寝するものであろうか。

床の間は室町時代の押板の発展したもので、此処には置物や掛け軸、花瓶などを飾っているのが普通であるが、床の間は果たして単なる飾り場所なのであろうか。

「地主神」を「とこぬしのかみ」と言い、その土地を主宰する神のことである。また、「地鎮祭」は「とこしづめのまつり」と言う。即ち床は地に通じ、その土地の神あるいはその家の祖先神の鎮まる場でもあると思考することもできる。故に無意識にも神像や神名を揮毫した掛け軸などが架けてあるのをよく目にするが、なるほど頷けるものがあるのである。

今日、「仏間」には金ぴかの仏壇が置かれてあるが、さて「神床の間」はというと、申し訳程度に部屋の隅にちょこんと小さな「神棚」がみられるのは未だましの方であり、中には神棚も仏壇も何も無い家だって最近は増えてきている。神も佛も、己れの生命の元である親・先祖さえもおられない所に平気で住んでいるとは、何と殺伐とした淋しい生活なのだろうか。この頃、世の中全体が殺伐としてきたのも頷ける気がする。本当は道を深めれば深めるほど、私たちは神仏の護り無くしては一日も生きてゆけないものであるということが分かってくるものなのだが…。

○神の座は 尊きものよ その座より
神のみ力 ほとばしり出づ     (九四五)

神の座は 又なきものぞ 氏子等よ
槍が降るとも 心乱すな        (三三)

あどけなく 神の座につく 氏子等を
見るが何より 神の喜び        (三四)

家族全員が打ち揃い、「神の座」即ち家の中の神霊のお鎮まりになる清浄な聖なる場(神前)に寄り集って、日拝祝詞(美言美詞)を心を込めて神に奏上申し上げる時、神々はじめ親・先祖の霊魂の喜びというものは如何ばかりであろうか・・・。

例え目には見えずとも、言葉に尽くせぬ計り知れぬものがあると思うのである。

○神の座を 喜ぶものは 遠つ祖
忠と孝との 本の道なり      (一九八三)

日々、一家に神仏への祈りの声が聞かれる、ということは即ち、その家を神仏が護っておられるという、なによりの証でもある。私たちが知らず知らずに犯す日々の罪・穢れを、日夜の神仏へのお務めによって祓い清めて頂けるわけであるから、朝夕のお祈りを欠かしてはならぬであろう。それによって、私たちばかりでなく、目には見えずとも実はそこに寄り集う親・先祖の多くの霊魂たちも共々に日々に祓い清められ救われていくものだからである。

○只一人 信心すれば 妻や子も
親兄弟も 浮かばせるなり   (一〇一一)

○不浄なく 罪と汚れも 消え去りぬ
あな尊しや 此の神の座は    (九四六)

目ざめなば 先ず第一に おん礼じゃ
その日その日を 神護るなり  (一〇三四)

身の不浄 心の不浄 とり去りて
神の座につけ それが第一   (一一六九)

朝起きて 先ず祈れかし 日の業を
夜寝る前に 又おん礼を    (一三一五)

○朝な夕な つく神の座は 吾が霊(たま)を
永遠(とは)に養う 尊き時ぞ     (一五〇二)

以下には『御神歌集』から幾つか抜粋して参考に上げておく。

神習い 神仕へして ゆく時は
何時も霊魂(みたま)の 事を忘るな    (九一九)

世を助け 人を救うは 神の道
霊魂助ける これが大切     (九二〇)

心だに 誠の道に 整はば
如何なる事も 難きことなし  (一一七六)

何事も 只真心で 迎へなば
世の業たたぬ ことはなきもの (一二二二)

神の座は 吾が霊磨き 永久(とこしへ)の
生命を活かす 大切の時    (一五〇三)

食べる事 それよりも尚 神の座は
我が本体の 霊の養ひ     (一五〇四)

寝つ起きつ 神の座にある 思ひせよ
吾が霊(たま)神に 抱かれてあり   (一五〇五)

吾が霊が 神に抱かれ あるならば
業も消えなむ 罪も造らじ   (一五〇六)

業断ちて 心の不浄 のぞこらば
此の世の栄え 永遠の幸せ   (一五〇七)

心鎮め 神の座につけ 只管に
神を念ぜよ 神を思へよ    (二〇一二)

物聴くな 身の定めをば 聴くことは
迷ひの元ぞ 神離る元      (二〇九三)

仇な思ひ まず投げ捨てて 神の前
神只神と ひれ伏して見よ   (二〇九四)

限りなき 神の力を 受けて見よ
身の定めなど 如何様ともなる (二〇九五)

身の定め 己が心で 握る時
己が迷ひは なほ深くなる    (二〇九七)

只管に 心澄まし 神の座に
着く時己が 身の定めなし   (二〇九八)

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