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神の道  第三章現象(実相)編 1

一、「生きる」ことの意味

世の中に 生れしことの 理を
極めで暮らす 事は愚かし  (一一七〇)

此の世で「これだけは真に自分だけのもの」といったら、一体何があるだろうか。或る人は「この自分の身体」だと胸を張って言うだろう。しかし例えばその「自分の心臓や胃腸・腎臓・肝臓」の働きを一分でも止めたり動かしたり、自分で自由に制御し得るものはいない。

それでも本当に自分のものと果たして言えるのか。又、死んでいく時にあの世へ持って行けないではないか。私たちは心臓の働きが停止すれば直ちに死ぬし、呼吸が止まれば死に至るが、己れの生を支える最も根本の心臓すら、自分の知性や理性で、自分の意識で「動け動け」と動かしている者はいない。呼吸作用でさえも然りである。そうしたことを普段意識して日々行っている者はおらず、又考えてみたことさえも無い。つまり自分の命は生れてからこのかた、他の何者かに「任せっぱなし」の儘で、自らは全く自覚したこともなく、何ら関与してこなかったということなのである。

それでいて果たして「自分の体だ」などと言えるのか、「自力で生きている」などと言えるのか。自分の心臓一つ、自由に動かしたり出来ぬ者が、手前勝手に己が肉体を酷使したり、酒やタバコや薬物で傷付け穢してよいものか。私達は生かされて生きている…というのが本当ではないのだろうか。自分の身体すら、心すら自分の自由に出来ない者が、果たして「自分の」と思い込んでいる夫や妻、家族や子供たちが、他人様が、会社の部下が自分の思い通りになると思い込んでいるというのは、無知も甚だしいのではないだろうか?

やがてお迎えが来た時には、お返ししいなければならないこの体であれば、誰もが感謝して日々、大切に大切に使わせて頂かなければ、それこそ罰が当たるというものではないか。

この体は 神の光を 収めあり
夢そまつには 扱ふなかれ  (一八〇)

この世にて 氏子が修行 するもとは
神があたへし 身体(からだ)なりけり (一八二)

では誰にも邪魔されず、また誰からも犯されない、これだけは本当に「自分だけのもの」と言えるものは一体何があるか、よくよく考えて頂きたいものである。

目に見えぬ 吾が霊魂(みたま)こそ 本体ぞ
永久に生きゆく 神の御分(みわか)れ (一五七二)

それは誰もが生まれ出る時に、神から授かった産(むす)霊(ひ)の神霊の「分け霊魂(一霊四魂)」であり、またその現象化としての己が「心」というものであろう。

人間がこの世に生まれ出て来る第一義、そのわけはこの神授の自己の「たましひ」を磨いて完全にならしめ、而して至徳を為さんがためであり、神の経倫に基づく生々化育の大業の為に生かされているのである。言い換えれば、自己の霊魂たる直霊と荒魂・和魂・奇魂・幸魂のはたらきの完成・成就、あるいは自己の霊魂中に含有するところの「智・情・意」の働きの過不足を是正し平衡ならしめ、神の摂理のまにまに世の繁栄と平和に充分に尽さんが為…とも言い得ようか(「心と魂との関係」等については詳しくは拙著『古神道の秘儀』海鳥社を参照されたい)。

世の中に 命に換えて 為すべきは
吾が身助ける 修行なりけり (一一三〇)

助からむ 吾が身とてなし 天地の
中にあるのは 心のみなり (一二九七)

心こそ 吾が本体ぞ 吾れなるぞ
神に通える 心大切    (一二九八)

この己れの霊魂を磨き上げ完成させるためには、まずもって自分がその心にならなければならない。つまり、「自分の心(肉体心・人間心)で自己のたましひを救う…」という訳である(人間は「魂+魄」の存在であるということ)。

えっ、「自分の心さえ、自分でどうにもならない」んですって?。それは困りましたねぇ……。人の心は「一念三千」、時空を超え、火にも焼かれず、水にも溺れず、)生き通しのもの…というのが、吾が心なんですがねぇ…。自ら道を求める心を起こすどころか、自分で自分の心や感情を自由にコントロールできず、何かに依存しなければどうにもならない等というのではお話になりません。

幼い頃から家庭での親の厳しい躾や、物の道理がシッカリ身についていないのであれば致し方もないが、世の親さま方は真に吾が子が可愛いいなら、子供たちに対して何でも話せる「お友達」レベルから脱して、一日も早く己の生き方に自信と誇りを取り戻し、「人としてあるべき姿」「人間はこのように生きるものだ」というところを示して、「生みの親」たる役割・責務をシッカリと果たしていただきたい。立派に社会のお役に立てる子をそだてて、世の中に送り出さなければならないのではないでしょうか。「お父上・お母上」とまではいかなくとも、せめても何だか訳の分からぬ軽薄なパパ・ママから、「人間はこうあるべきだ」と真に人の生き方を子供に示すことの出来る「お父さん・お母さん」に、威厳のある父親・慈愛あふるる母親に戻って欲しいものであります。

わが心で わが魂しいを 助くるが
此の世に生れし 甲斐と言ふもの (六六六)

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