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遷宮の思い出(一)

私が福岡市内の神社に奉職したのが平成五年の春でした。

その秋に髙宮八幡宮の七五三行事にお手伝いに伺い、それをご縁に翌年のお正月も二日ほど伺った思い出があります。その折、不破総代(故人)より宮司を引き受けてくれそうな退職された神主さんが居られないかとお尋ねがありました。そこで、私が木原邦雄先代宮司をご紹介申し上げることになりました。

その後、木原邦雄先生が宮司になられ、それから三年後の平成十年には私も当宮にお仕えすることになりました。

私がこのお宮に呼ばれたのは、本殿・拝殿・社務所・参集殿・社宅すべてが老朽化しており、それを遷宮して欲しいとの要請でした。私が三十四才で神主になったのは産土神社・産土信仰をを再興したいという自分の夢があったからで、これはまたとない機会と承ることにしました。 

その時にも不思議な巡り合わせに御神意を感じてありがたく思っておりました。

また、後日わかるのですが、自分は生まれも育ちも博多だと思っていたのですが、博多の実家は空襲で焼け出されて倉庫になっており、二才の頃まで今の高宮小学校の近くに住んでいた事がわかりました。実は知らない内に、自分の産土様にお仕えしていたのでした。(神道霊学では、産土様は自分の魂の親とされています)

木原先生が宮司をお受けになる時の話ですが、高齢を理由に断りに行くことにしたその日の朝、夢の中でご本殿が壊れていくのを抱きついて、ご自分が防ごうとするところを見たそうです。それで神様が何とかせよと自分に言ってあるのだ思い、取り敢えず三年だけと言うことでお受けになったそうです。そして、宮司になってから不思議な霊験がよくあり、氏子の言い伝え通り位の高い高神であると思われたそうです。それで、その神様がお示しになっているのだから、必ず遷宮はできると思うようになったと言われていました。それでご自分の後に私に神社の再建をしてもらおうと思われたそうです。

その当時、神社の歳入は少なく生活の為に三年ほどは蓄えを取り崩す覚悟でしたが、それに追い打ちをかけたのは、社宅が倒壊寸前で補修不能ということで取り壊すことになったことでした。

当宮には勝手に木を切ったり、草木を持ち出すとお咎めがあるとされておりました。戦後にそのようなことがあり、それ以来下草は刈らず間伐も枝打ちもしなくなって四十年ほど過ぎていたので、日中でもうっそうとして怖い感じの場所でした。境内はいつもジメッとした暗い感じで、手入れも行き届かず至る所にいつも落ち葉か吹きだまっていました。

境内には直径三十センチ以上の木が折り重なるように生えており、来る日も来る日も伐採を続けていましたら、総代が見かねチェ-ンソウを持ってきてくれました。また、樹木医の方が大変貴重な宿り木があるということで、本格的な森の調査をされたことがありました。

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