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神と人とのあり方 22 その1

六、神と佛

神の道 仏の道と 只口に
唱へるのみの 人が多いぞ

この御神歌は明治の神仏分離令(廃仏毀釈)以降、神の道はこれこれこういうものだとか、佛の道はこういうもので…などと言って、何も分からぬ心無き者らがそれらを区別して説き、且つ神仏どちらの信仰も持たぬまこと無き者がとやかく屁理屈を言い、両者の優劣を競う等、言挙げして、論うことの非を厳しく戒めておられるのである。ところが、神仏へのひたむきな信仰無き者ほど、己が心が真理と違い、肝心の神仏の御心から大きく離れ背いていることにも気付かずに、あまりに目先の言葉だけの解釈に終始し、理屈を並べ立てヽ論争したがるものである。
神霊は斯様な何の信仰をも持たず、神仏の何たるかも分からぬ無知な「まごころ」無き者らに対して、「神といい、佛と言うも、それは言葉だけの上のことであるから、言葉のみに囚われずに、人を救い世を救いたいという心の一点においては皆同じなのだから迷ってはならぬ…」と厳しく教えられたのが、次の御神歌なのである。読者にはこの点をよく理解しておかれたい。

み仏も 神の道にも 変りなし
神も仏も 只言葉なり

神仏 ことばの上と よく悟れ
ことばことばは 如何様にもなる

かみ・ほとけ 呼び名呼び名に 迷うなよ
只吾がまこと 道は一筋

仏と云ひ 神といふなる 言葉など
気にかけるなよ 道は一筋

只管に 氏子助けなむ その願い
仏と現れ 神と現る

先にも述べたが、こうして御神歌を拝すると、人によってはどうしても神も佛も同じではないのかと考える御仁もあるかもしれない。
よって、この項だけは読者に誤解を招くことになってはいけないので、繰り返しにはなるが、前もってもう少し解説を加えておきたい。

仏教がわが国に伝来したのは誰もが知る通り、欽明天皇の十三年冬十月のことである(西暦五五二年とも五三八年とも)。百済の聖明王が釈迦佛の金銅像一躯と幡蓋若干、経論若干巻を献上したのがそのはじまりである。だが当時「神道」という言葉さえなかったけれども、わが国には仏教の渡来するずっと以前から、仏教とは違った古えからの「固有の神信仰」があったということを知っておいて戴きたい。故に、それを外来の仏教とハッキリ区別するためにそれからはじめて「神道」と言うようになったのである。
その後は誰もよく知る通り、わが国は奈良時代末からずっと明治の御世の「神仏分離令(廃仏毀釈)」が行われるまでの永い期間、いわゆる「神仏習合」の二本立てで来た国である。例えば神社の境内に神宮寺があったり、神さまに社僧が精進料理を供えたりしていた訳だが、そのために民間では今でも神仏をハッキリと明確に区分せず、又その区別さえ分からない人が多いという現状である。だがやはり、歴史的にも両者はその出所が全く異なり、また「神」と「佛」と言うように言葉自体が違うのであり、またその含み持つ意味内容も両者が異なる事はいうまでもなかろう。こうしたことは学問や理屈ではなく、霊学を修め幽冥に通じた者ならば誰でも一切の迷い無く、歴然かつ自明の理として真実が顕わになるものである。だが実際には霊学など知らない読者が殆んどであるし、従って之を説くにも十分に気を使っているつもりである。
今の世の人々は国の内外を問わず、「神道」といえば直ぐに「国家神道」のことであると思っており、また国家・国民を軍国主義に導いた危険思想であるなどと、いまだに勘違いしている人ばかりの現状である。斯くまでに、先の大戦以来、わが曰本民族のうるわしい精神を根絶やしにして自由に使役せんとの占領国軍司令部の情報操作や洗脳政策に引っかかりうっかり騙されたまま、いまだに目を覚まさぬということであろうか。こうしたことは、少し勉強した人ならば誰にも明かなことであるが、学校教育でさえ教えないのであるから何とも始末に負えない。

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