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神と人とのあり方 21(その2)

神を信じ、神に一切を委ね任せ切った者が、今更神に何の聞くことがあろうか。「信じる」ということの真の意味を知らぬ者があまりにも多いのである。
また、世間には己れの我欲や野心を遂げんと図る、志の低い者が、何らかの行をしてそれに相応した野狐や白狐などの低い動物霊や人霊(邪霊)と感応し、或いは憑かれている者が非常に多い。そうした者ほど、「自分は真の霊能力を持った神主だ・僧侶だ」などと、とんでもない勘違いをしており、人々の人生相談をしているというのだから信仰の取り違えも甚だしい。
神社の御祭神の神力や佛力と妖魅・邪霊のそれとを見抜けずに、殆どの者が尊い神か佛が自分に降りたとでも錯覚してしまい、それに対して何事かを「お伺い」し、まことしやかなみくじ(回答)を得ようとするに至る。これらは全く当てにならない信憑性の乏しいものであり、こうしたつまらぬ者等を盲信し盲従すると、確実に己が身の破滅が待っているのみである。

世の音と 神のみ声と 霊魂等が
つぶやく声と よく聞こゆるぞ

心澄まし 修行怠らず 神の声
それのみ聴くが あるじのつとめ

ものごとを 神には聞くな 間違ふぞ
時にみたまが 教ゆるもあり

みたま等を まことの神と 思うなよ
指図聞くにも 心して聞け

善き霊魂 悪しき霊魂の 区別あり
神つかはせし 霊魂信ぜよ

霊魂等が 己が己がと かゝる時
氏子危い よく心せよ

よき霊 あしき霊は 神のみぞ
これを知るなり よく悟れかし

うつし世の 人が霊魂を さばくなど
世に言うことは おろかしきこと

霊学を学んだことも無い普通一般の者が、「霊魂を裁く」ことなど出来る訳もない。世間に見られる「審神者(さには)」などと吹聴している者は、そのほとんどが問答審神者と言って、正邪を見分ける真の霊的能力は全く無く、皆邪霊にそそのかされ、だまされ操られている者ばかりであると知っておかれればよいのである。
そのものの浄心・真心と熱意を認められ、神界より神階を(幽齋の資格)をいただく程の神界の特別の使命を持ち、霊学・霊術に優れた者、審神者のお役を許された者でなくしては、真の審神者というものは決して出来難い…というのが真実なのである。世間は「審神者」というものをあまりに安易に考えすぎていると思わざる得ない。

あるじこそ 神の手代わり 手代ぞよ
己が力と 慢心するな

神を助け 道を広むる 人となれ
千萬人の 一人ともなれ

天照らす 四海の中に 選ばれし
氏子よまこと 神となる人

世を助け 国を救はむ 為なるぞ
主に神が 願う修行は

現し世の 業は捨ておけ 神任せ
己が務めは 神になること

言の葉に 教ゆる者は いと多し
身を尽さむ氏子 神は求むる

心磨き 心澄ませば 神になる
神になりくれ 神は待ちいる

主 妻 共に手をとり 神業を
成就なせかし それが頼みじゃ

吾が智恵を 活かすは誰ぞ 待ちおれば
修行怠る 日ぞ借しまるゝ

霊魂等の 嘆き鎮むる その為に
霊魂の事も 極め得さする

いささかも 人の智恵にて 動かぬが
吾が身の上の 定めとは知れ

限りなき 神の力を 受けて見よ
身の定めなど 如何様ともなる

怠るな 神への想い 深め行け
主のつとめ 外になきなり

言の葉に のぼるは 神の道ならず
吾が身行じて 人に伝えよ

(『日本神道の秘儀より』掲載)

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