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神と人のあり方 19 (その2)

三、日本の神々と世界平和の願い

神の世と 又神の世に 戦さなし
など同胞よ 争ひはする
(「日本の霊界とメリケンの霊界は争ふてはいぬ」と附言あり)

世の中の 人はみな子じゃ はらからじゃ
わけへだてなく 助けゆかれよ

外国と 言ふもおろかや 国人よ
など分けへだて あるべきもなし

外国の 国民等も 神の子じゃ
夢わけへだてなど 考へるなよ

大きなる 天地の中に 住む人じゃ
国は隔つも 心は一つ

神の世界には、現象界のように国と国といった分け隔てはなく、世界の人々はすべて等しく神の子であるのに、一体どうして人間同士で戦争などするというのか。
先の第二次大戦後、日本の神々或いは日本神道が国内外の相当に深刻な批判の対象とされたことは誰しも周知の事実である。だが、問題なのは日本の神々が果たして戦争を奨励しておられたか否かということである。

争ふな 争ひこそは 此の国に
醜草萌ゆる 元となるぞや

日本の神々が如何なる御心であられるかということは、私たち誰しもが先ず第一に知っておかねばならぬことであろう。拙著『古神道の秘儀』でも紹介したキリ ストの秘蹟以上の偉大な神力を発揮された熊本の「まっぼしさま」こと、松下松蔵氏は無益な戦争を回避すべく軍部に対し何度も働きかけ、且つ説得を試みられ たが、すべてまともに取り上げられることはなかった。軍閥は神霊の教えなどにはまったく耳を貸そうともしなかった。当時、戦争反対を唱えるようなものはイ ラクを攻撃中の今のアメリカがそうであるように、非国民とされたのである。
そうした風潮の中であっても、如何に心ある多くの人々が戦争に反対し、かつは停戦を切望していたかということは知っておいてよいだろう。
明治以降、欧米に追いつき追い越せをモットーに急速に近代化を図った日本は、西欧の科学合理主義・唯物主義・経済効率第一主義を盛んに取り込んだまではよ かったが、祖先から連綿と語り継いで来た自分たちのそれまでの生き方や日本人としての誇りを忘れ去り、神的なるもの(神・仏、先祖のみたま)への「畏敬の 心」を喪失してしまった。神霊の直接の教えを受け得る者が不在となってしまったことはまことに残念なことと言うより他にない。
何事であれ、「神意第一」とし、「先例尊守」のわが国古代からのあり方とは、その生き方において根本的に大いに相違してしまった訳である。「氏神」「氏子」と言われるように、神の国 に生きる神の子たる国民が、その生みの親たる神霊の教えに背いたら結果がどうなるかは言わずもがな・・・である。
上に立つ軍閥たち司らが、先の先までも見通しに坐す神霊の言うことも聞かず、あるいはそれを無視して、限られた武器・兵力で世界を相手とし精神主義のみを頼みとして如何に戦おうと、その結果は言わずと知れたことである。

司等に まことがなくて 民草を
導くなどは 愚かしきこと

すめみまの 帝の御座は 曇らねど
なお晴れやらぬ 司人かな

かけまくも あやにかしこき すめろぎの
ことおし計り 神がなげくぞ

今のアメリカ・イラク戦争がそうであるように、まことの神の心を知らぬ者等が互いに「神」を口にしながら、神の名のもとに殺し合いを演じているのだから、人間とは何とも救いがたい生き物のような気がする。
わが国においても、常日頃本心では思ったこともない心なき者等に限って、「天皇」とか「神」とか「神国」…とか盛んに口にしては、気の弱い人々を脅かして いるものである。先に挙げた御神歌にも見るごとく、先の大戦中においても、当時の軍閥たちは「天皇の御為に」を乱発しては自己の野望や功名心を実現するた めに天皇の御名を使って、結局は「御国」や「天皇の御座」を汚してきたのだ…と、神霊は天皇を取り巻く司人、即ち軍閥や側近の者等の犯した罪を問い、深い 反省を促しておられるのである。
皇上の大御心を解せぬ側近や軍閥の者達の言動に対して、国民とこの国の行く末を思い、御上が如何に心を砕き、心底嘆き悲しんでおられたかは察するに余りある。

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