初詣は高宮八幡宮へどうぞ

初詣のご案内

大晦日は年が変わった「午前零時」よりお詣りができます。元日は夜通しお参りできますのでどうぞ皆様御参拝ください。
ぜひ新年は家内安全の御祈願をお受けください。お正月三が日は売店もやっております。

平成31年1月の予定

1月 3日 10時頃~ 元始祭
1月14日(成人の日) 10時~12時 どんど焼き
※月例の神道講座はお休みです

社頭祈願

家内安全・初宮詣・安産祈願・縁結び・子授け・商売繁盛・会社安全・移転奉告祭・交通安全・厄年祓い・災難厄除・病気平癒・身体健全・方除け・受験合格・学芸熟達・心願成就・年寿祭(還暦・古希等)・各種報告祭

お正月・御代替わりを祝う

平成31年の正月は、平成最後のお正月となり目出度く有り難い限りです。

しかし、近頃では家や家族の様が変わったせいなのか、ハロウイン、バレンタインデーなど商業ベースの行事が多く、行事がイベント化して、心よりお祝いする感じが失われてきたようです。

お正月は世の中であれ家であれ一年で一番の時間でした。この度のお正月は年配の方は昔を思いだして、心よりお祝いする豊かな時間をご家族でお過ごし頂ければと思います。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

高度成長期と言われた時代に「明治は遠くになりにけり」と世間で言っていた思い出があります。すでに戦前を知らない世代(戦争を知らない子供達)も古希を超えていらっしゃる方も居られ、「焼け跡・高度成長」も聞き覚えのない世代が中年と言われる世の中になっています。最近は「平和ボケ」という言葉も耳にしません。

日本は江戸時代は鎖国をして平和な世の中を維持しました。その時代は有色人種の国は植民地にされており、奴隷の対象にされていました。有色人種の国の中で、日本だけが実質的な独立国でした。明治になって日本は独立を維持し何があっても奴隷にされる事など無いように「富国強兵」の国家目標を掲げたのでした。

今は国家目標を失った時代が続いています。私どもはどこへ向かうのか、国自身を失わない為に意思を決めないといけない時期に来たようです。

   高宮八幡宮 宮司

高宮八幡宮の由緒・由来

神功皇后のご縁

社史によると、天智天皇(西暦655~661)の御代に磐瀬(現在の西鉄高宮駅東方に地名が残って居る)の行宮に居られた時に、神功皇后の縁の地として此処に神さまをお祀りになったと伝えられております(四王寺山の城や水城が築かれた頃)。

現在のTNCテレビ塔一帯の高いところに創建されたようで、その場所の位置と地形、つまり今の平和台に在った外賓応対の施設と大宰府との連絡道路に面して居り、更に博多湾を望み、大宰府と那珂郡を一望できる軍事上重要な位置をなしていることと時代背景を考えますと、国の外難防御祈願の為に創祀されていることが解ります。

福岡藩主・黒田忠之公の寄進

後、寛仁年間(1037年頃)に 岩戸少卿大蔵種直が社殿を造営して武運を祈り代々崇敬しました。また、建久年間(1190年ごろ)原田氏(糸島郡の高祖城主)の時、当神社を高宮の宮の尾に移し、高宮、平尾、野間の三村の氏神、那珂郡の惣鎮守神としたと伝えます。

当宮の寛永年間(西暦1624年頃)の棟札によりますと、本殿は藩主黒田忠之公の寄進されたもので、一の鳥居は長政公の寄進であり、拝殿は家老の加藤司書の寄進とのことです。武運祈願の神社として慶長7年(1602年)に神社を古宮の跡である現在地に遷座し、のちに分霊を平尾村と野間村に勧請して氏神としています。

高宮、平尾、野間の三村の氏神、那珂郡の惣鎮守

また、天保年間の棟札には、惣産子として高宮村、平尾、野間、若久、屋形原、野多目、和田、老司、塩原、清水、日佐、那珂、竹下、春日、安徳、馬出、堅粕までの17村の名前が書いてありました。那珂の郡の鎮守、高神様という伝承を裏付けるものです。

明治以降は一村の氏神として祭られるのですが、秋の祭には「宮座」の奉仕がありました。毎年廻り当番で、氏子の家で一切の経費を負担して祭の準備をしたのです。

アクセス

交通機関 西鉄大牟田線 高宮駅下車 徒歩7分

福岡県福岡市南区高宮4丁目9-34番地 高宮八幡宮
TEL/FAX : 092(522)8435